(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・5)
五
家に帰ると、明子が店の前の道路にホースを引っ張り出して水をまいていた。舗装されてはいるけど車が通る度に土埃りが舞い上がる。それを鎮めようとしていた。俺は家の横にある駐車場にPCXを停めて家の中に入った。軽トラックが先にあった所を見ると、日が明るいけど父も帰っていると推測した。こういう日は夕食がいつもより早目だ。
玄関側からの階段を二足飛びに上って部屋に入ると、すぐパソコンに向かった。昨日の乳がんという検索項目を若年性乳がんという項目に変えて検索した。幾つかの回答が並ぶ中で、若年性乳がんについて知りたい方へ、特徴や原因を知り早期発見に繋げようと書かれ、目次に、一、乳がんとは、二、若年性乳がんの原因、三、早期発見するためのポイント、四、まとめ、とあるのが一番分りやすそうだ。
回答を開いた。女性にとって恐ろしいがん「乳がん」とあり、その二行目に乳がんは四十代から六十代の発症率が高いが十代、二十代、三十代で発症する人が年々増えてきているとある。昨日、俺が中途半端に調べた中に、十代、二十代の乳がん患者は無かった。そして、若年性乳がんの殆どを三十代が占めているとある。美希の場合は特殊な例ということになりそうだ。
若年性乳がんの特徴は進行スピードが速い。発見したらすぐ第二ステージに突入していたり腫瘍が大きい。若年性乳がんのしこりは平均二・九センチとある。進行が早い分、自己発見が多いともある。さっきまでの美希の話と一致するところが多い。
美希に聞いたしこりの大きさ四センチを思うと一層不安になる。若年性乳がんは片方の乳房だけに発生することが多い。近い身内に乳がんを発症した人が居れば発症の確率が高く遺伝的要素が強い。肥満より痩せ型に多い。その通りの状況だ。状況が似ている。
若年性乳がんの原因に一つは食生活の欧米化とある。栄養バランスの整った食生活を送ること、暴飲暴食はダメ。過剰なアルコール摂取もダメ。その忠告は分るけど欧米化の中身がなんなのか書かれていないじゃないかと思う。癌の要因に美希の食生活等に当てはまらないものが並んでいると思った。
もう一つの原因に女性らしい体質に成長するスピードがとても早い人、初経が早かった人は注意を要するとある。初経が早く出産経験がない人ほど若年性乳がんを発症しやすいと言われていますとの解説だ。美希が初経を迎えたのが何時か勿論知らない。
また、早期発見のためにはセルフチエックを奨めていた。両手を頭の後ろで組み鏡に自分の胸を映して乳房全体に凹凸がないか確認すること。又は、仰向けに成り、指の腹を使って円を描きながら乳房を触り優しく丁寧に確かめること。そして、定期的に検査を受けましょうとある。日記に記録した。
ボタンを一個外した美希が思い出された。何かを訴えたかったような気もする。一ヶ月前というから六月初めの頃だろう。入浴しようとして脱いだブラジャーに血が混じったような分泌物の跡があって浴室で乳頭を障ってみた。その分泌物だと分ったと言っていた。不安が湧いたけどその痕跡があったのは一度で、その後の生活ではブラジャーの着脱の後にも入浴の時も何もなかった。病院に行く一週間前ぐらいにその分泌物が三日続けて見られるようになって母に相談し、町民病院に行ったということだった。
美希の部屋を出るとき、俺は、一緒だよと言った。俺にとって、美希と一緒に病気と闘うこと、離れていても美希と気持ちを同じにしていたい。そういう思いだ。今、この開いている説明書の中で一番気になるのは若年性乳がんは進行スピードが早いということだ。どうしたら良いのだ。しばらくパソコンを開けたままだ。動けなかった。
夕食は案の定いつもより早めだ。明子が階段下から部屋に居る俺に聞こえるように夕飯よと声を掛けてきた。午後六時をちょっと回っただけだ。
食卓には父の好きな天ぷらが大皿に盛られていた。父は焼酎をお湯割りにして飲んでいた。グラスの底に梅干しが見える。父の好みの飲み方だ。頬に少し赤身が指している。
「昨日、岩城先生のところでの話はどうだった?」。
いつもの会話をしながらの食卓だ。父は昨夜はこの大籠地区の藤沢野焼き祭り参加の寄り合いに出かけていて夕食は家族と別だった。帰ってきたのは夜十時を回っていた。俺は美希と初めてキスをして興奮を覚えていたから昨夜は父と顔を合せずに済んで良かった。
父には昨日の朝に岩城先生の所に葛西一族の話を聞きに行くと事前に話していた。
「伊達政宗の謀略は許せない」。
俺は、いきなりそう言った。父は驚いた顔もせず、薄い衣から黄色い部分を少し見せているカボチャの天ぷらを口に運んだ。
「戦国の世だ、残った者と去った者との間には何かがあるさ。伊達政宗だって豊臣秀吉に会津を取り上げられ、生まれ育った米沢 を追われ、結局、僅かな父祖伝来の土地と、この葛西一族の地域に押し込められた、己は勿論、一族郎党の生活を支えるために、再建するのに大変だったろう。所領拡大のために奥州制覇を目指して、逆に策に溺れたとはいえ故郷を失ったんだからな」。
父の話が意外だった。
「葛西晴信が秀吉の奥州仕置きで滅亡したの知ってた?」。
「それは知ってるさ。ここ(この地域)は天正末期に伊達政宗のものに成った。その前が葛西一族だって、奥州仕置きをキッカケに君主が変わったってこの辺の古老は皆知っている。葛西晴信は葛西氏の最期の当主、大名だろう?」。
「どんな経過で滅亡したかは?」。
「政宗と同じで奥州仕置きだろ。小田原参陣をしなかったっていう」。
「いや政宗の謀略、それがあった」。
「それは知らない」。
「須江山の惨劇は?」。
「知らないね」。
「お父さん、今、伊達政宗の所領が変ったことを言ったけど、なぜ知ってるの?」。
「それは伊達政宗の小説、誰の書いた小説だったかな、政宗の生涯を書いた小説を読んで知ってる」。
「政宗の葛西・大崎一揆討伐は?」。
「小説で一揆討伐の話はあったかも知れないけど、葛西大崎一揆って言ったかな?、
秀吉の奥州仕置きでこの地域を治めるのが葛西氏から伊達に変わったことは知ってる。でも、それ以上の事は知らないし誰も言わないね。右名沢の首藤さん家なんかは鎌倉幕府時代から続いている家だって聞いたことがある。
系図もあるんじゃないかな。何代まで葛西に仕え、誰から伊達に仕えたか、それが分ったら面白いね」。