(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・3)
四
国体の開催県になると、道路が舗装されて綺麗になる。いつか、そう父に聞いたことがある。国体の持ち回り開催が地方の経済活性化に役立っていることを言うプラス面の評価だった。今は町から大籠地区に通じる道も、その先の宮城県側の道路も舗装されている。でこぼこ道で通学にお尻が痛くなるということはない。だけど、道路が整備されても通学のガソリン代が馬鹿に出来ない。町から片道十二キロの道をいつもより長く感じているうちに何故かそう思った。
本当は授業が終わってすぐ帰り道につきたかった。だけど、美希の口から検査結果を聞く不安に、今日でなくてもいいアンケート調査の依頼に時間を潰した。
美希のご両親には小さい時から何度も会っている。俺が顔を見せれば、何時も、よく来たねと小父さんも小母さんも迎えてくれる。だけど、今日はその顔をまともに見られるだろうか。美希との秘密を思い出しながらPCXを運転した。
美希の家に着くと、それよりも検査結果が気になった。ごめん下さいと声を掛けた。小母さんの出迎えだ。俺を見ると、ちょっと驚いたような気がした。目が赤いようにも見えた。美希とは通学でいつも一緒と分っていても、俺がしばらく姿を見せていなかったから驚いたのかも知れない。
「あのう、今日美希さん休んだけど、連絡して置く事があって寄らせて貰いました」。
小母さんは玄関口でためらう様子を見せた。奥の方から小父さんの声だ。
「入りなさい」。
玄関口を入ると広い土間だ。昔ながらの家の造りのままだ。小母さんより先に立って進んだ。昔の囲炉裏を改造して櫓を組み、その上に置かれたテーブルを前にして小父さんが座って居た。小父さんの後ろの頭の上には一間幅もある神棚が見える。美希は小父さんの右手側の位置に座っていた。勢いよく小父さんの正面に回ったものの、どう声をかけていいのか戸惑い、土間に立ったままお辞儀をして挨拶の代わりにした。美希は下を向き、泣いているのが分る。
「上がりなさい」。
小父さんは美希の座っている側に右の手のひらを見せた。涙をぬぐいながら立ち上がった美希は白い長袖シャツに通学の時の紺のスカートと白いソックス姿だ。板の間の片隅に重ねてあった座布団を一つ取り出してきて、今まで自分が座っていた位置に敷いた。美希は並べて土間に近い方に自分の座布団を敷き直した。
お父さんは元気にしているかとか、リンゴの木の消毒散布は終わったかとか、小父さんが父の農作業等の近況を聞く。俺は早く美希の検査結果を知りたいのに自分から話すことが出来ない。病院に行ったことを知らないことになっている。
昨日美希に会っていることも、この家に来た事も口に出来ない。小父さんの聞くことに応えながら、今日、よさこいソーランの野焼き祭り参加が決まったと連絡が学校に有ったそうです。それを伝えてくれとの事でした。美希さんも参加している、よさこいソーランの練習日を増やすそうです。京子や梨花に頼まれた訳でもないのに今日ここに来た理由にこじつけた。聞いていた小父さんが美希の姿をみながら、いずれ分ることだからと言いながら、言い澱んだ。
「美希が体調を崩してね、今日、町民病院へ俺と母さんと三人で行ってきた。前に行った日の検査結果を聞く日だったんだけ ど、『若年性乳がん』と診断された」。
「えっ」。
俺は、美希が泣いていることから判断して何か病気が見つかったんだろうと予想はしたけど、乳がんと言う言葉に驚いた。それに三人で行ったということも意外だった。昨日、ネットで検索した日本癌学会の「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」にも、国立がん研究センターの「がん情報サービス」にも「若年性乳がん」なんて言葉、あったかな?俺の頭の中を昨日得たばかりの知識がくるくる巡る。三十代、四十代の乳がん患者が増えている、患者は五十代以降が多い。生理が始まって閉経までの期間が長くなるほど乳がん発症率が高まる。なのに、どうして?。美希は大丈夫なはずなのに、どうし?て。そう思うと胸がドキドキしてきた。
Q&A式の解説書で、乳がんのあらましが分ったところで検索を閉じた。昨日の夕方の事を思い出して、後悔した。
俺がここに来るまでの時間は、小父さんにも小母さんにも病院から戻ってきてある程度冷静さを取り戻すための時間だったのかも知れない。だけど、美希の病名を言うのに一呼吸置いたのはまだ冷静では居られないからだ。
見ると小父さんの口元は強く閉めたり緩めたりを繰り返していた。そして、俺にとってはもっと衝撃的な言葉が続いた。
「乳がんのしこりは右胸に四センチ。腋窩リンパ節に転移が認められるという診断だった」。
聞いても、どれほどの重症度か俺はハッキリ分からない。だけど、俺の得た知識では乳がんのしこりは小さい方が良い。腋窩リンパ節に転移がない方が良い。これほどの診断情報を病院の先生が美希の前で話したのか、話して良いのか、訳もなく怒りを覚えた。俺は隣に座って肩をふるわせている美希を抱きしめたい衝動に駆られた。
お茶を淹れてくれた小母さんが席を立って、口元を抑えながら隣の部屋に行ってしまった。小母さんの赤い目はやっぱり泣いていたのだ。小母さんの姿を追って小父さんの目が泳ぎ、話が途切れた。
しばらくの沈黙を破るように、小父さんは話を続けた。
「母さんは米川に嫁いだ三つ違いのお姉さんを乳がんで亡くしたばかりだ。義姉はまだ四十五(歳)だった。母さんが美希の付 き添いで、今日、病院に行くことになったと知った。それで俺は母さんも美希も心配になって町民病院に一緒に行った。
病院では、まず両親だけが先に呼ばれて検査結果が伝えられた。母さんは、今度は娘の乳がんを知らされて、その場で卒倒してしまった。慌てて母さんの発作を処置する病院の対応を見た美希は、その後になって、自分の病気の告知を強く希望した」。
小父さんはそれだけの事を言うと、また口元を強く閉めた。小父さんが目の前であることも構わず、俺は左の膝小僧に置いていた美希の手を右手で強く握りしめた。下を向いている美希に何も言うことが出来ない。小父さんが美希と俺が並ぶ側と反対の側に顔を向けたけど、頬を伝う涙は隠せなかった。
小父さんは自分自身の感情が少し落ち着くのを待って、それから、今日のこの話は俊明君だけに留めておいてくれと言う。他の生徒、先生は勿論、俺の父や母にもしばらくは知られたくないと言う。美希が入院すればそれでいずれ皆に知られることになる。それまではそっとしておいて欲しいと言う。言葉にならないまま俺は首を縦に頷いた。
入院日は手術前日になる。乳房温存で右の脇の下のリンパ節を切除することになる。入院期間は一週間程度となるがそのあと一週間は外来受診と安静が必要になる。術後二週間程度で切除した標本の病理検査結果が出るのでその後に放射線治療をどのようにするか、抗がん剤をどうするか、治療方針を改めて相談することになる。そういう町民病院の先生の説明を受けながら気が動転して入院日を決められなかった。六日の金曜日までに主治医に連絡することになっている、と小父さんは言う。