(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・2)

                二

 三百メートル離れていても俺の家と美希の家は在ではご近所様だ。小父さん達は、もう帰ってくるだろう。そう言って、不安を抱く美希を一人にして帰ってくるのに躊躇(ためら)いがあった。明日、どんな検査結果の説明があろうと必ず教えろよ。俺が付いているなんて言ったけど、励ます言葉以外に俺に出来ることはなかった。

 美希の部屋は昔ながらの建物に後で増築したらしく、座敷と廊下を隔てて西側の奥まった所にあった。ドアから右奥にベッドが置かれていた。枕のある周りの壁にはかわいい洋服を着た女性のポスターが数枚。一枚はAKBらしい。男性のポスターが一枚あった。俳優の滝沢秀明だと思う。 

 ベッドの足下の方は壁に沿って白い整理タンスと洋服ダンスだ。整理タンスの上には鏡と化粧道具らしい小瓶が並び、西洋人形が一つ置かれてた。

 ドアの正面が腰壁のある窓で、小さい花柄の明るいカーテンが目に付いた。左側の南壁は真ん中が出窓になっていた。奥に机があって、その机の上の壁に何か貼ってあった。その更に上にデズニーのミッキーマウスの飾りが付いた壁時計があった。小さい花柄とレースのカーテンが端に寄せられた出窓には丈の高いサボテンの鉢とポトスの鉢が置かれてあった。その横で三、四十センチの高さのあるユニークなアヒルの木彫りが愛嬌のある顔に首を長くしていた。身体の大きさに不似合いな大きな黄色い足で踏ん張っていた。

 その出窓に沿って低い本棚があり、本棚の上に子犬とパンダのぬいぐるみと西洋人形が乗っていた。本棚の中はひらがな混じりで厚さが無い背表紙の本が多い。美希がいつか絵本作家になるのが夢だと語る、絵本や童話みたいだった。同世代の女性の部屋を見たなんて初めてだ。いや、人生初のキスだ。あの時、俺は足に震えが来ていた。

 姿の見えない母に声だけ大きくして帰ったことを告げ、二階の自分の部屋に直行した。壁の時計は午後五時半を廻っている。まだ電気を()ける程に暗くはない。窓際の机にパソコンを載せて乳がんを検索した。 

 初期症状、治療の考え方、病気のステージ、みな初めて見る文面と画像だ。一度読んでも分らないことが多い。三十代、四十代の乳がん患者が増えているとあるけど患者は五十代以降が多いとある。美希は大丈夫だ。俺の頭を過ぎった心配は素人の考えだ。 

美希も俺も心配した乳がんではなさそうだ。ただ、病院の先生が、ご家族の付き添いがあって説明したいと言うのだから美希が心配するのは当然だ。何かあるのだろう。

 五日前に血液検査とMRIで胸部検査をしたと、さっき美希が言っていた。明日、お母さんと町民病院に行くのだ。約束したとおり明日の電話連絡を待つしかない。パソコンを閉じて、しばらく机に向かって目を閉じた。

 右ポケットの携帯が鳴り出した。美希かと思った。開けてみると京子からだ。美希に連絡したけど電話に出ない。電話して何か聞けたかと聞く。美希の体の事を心配してのメールだ。連絡していないし、明日学校があるから明日分るよと送信した。そうね、元気に来るよね、それで京子のメールは切れた。 

 美希の家に寄ったことも、さっきまで一緒に居たことも言わなかった。隠したいからではない。さっきの美希との二人だけの時間に誰も入れたくない。メール連絡を切ると、美希の顔がすぐに頭に浮かんできた。

 美希を女性として意識したのは今日が初めてだ。昨日までの、いや今朝までの美希は幼なじみであり、好きな友達としての美希だ。今は違う、違うのだ。美希をきれいだと思ったのはついさっきの時間だ。美希を好きだという小さい頃からの感情に変わりは無い。でも今までとは違う。美希を思い浮かべながら初めて心の中で、愛してるってつぶやいた。 

 小さな唇を吸ったことを思い浮かべると今も自分の唇が無性に火照(ほて)ってくる。美希の背中に回した両手の感触も蘇ってくる。机の上に置いた両手の指先に力が入る。下半身の分身が勃起した。

                三

 もう一時限目の授業が始まる。当然、美希の姿はない。京子が近づいてきて、美希どうしたのかなと言う。俺は軽く首を左右に振った。十分前にも俺が教室に入ると、美希は?と声を掛けてきた京子だ。いつもの県道に朝、姿が無かったと伝えたばかりだ。 

さっきは熊谷も俺の机の前に来たけど、今は自分の席で授業の開始を待っている。今日の一時限目は岩城先生の国語だ。

 開いた教科書にはヘルマン・ヘッセの車輪の下の一文が載っていた。物を作り出す行為が人に活気を持たせてくれる、周りに支えてくれる人が居るか居ないかで人の生き方に違いが出てくる、そんな内容を伝える場面だ。

 先生の今日の授業は生徒に考えさせる、感想を求める授業らしい。しばらく生徒に黙読させて、それからこの作品が書かれた時代、背景、教科書に載っていないあらましの部分を先生が補って、俺達生徒に読後感想を求めてきた。指名されることは無かったけど、熊谷や他の何人かが指名されて答え、あるいは自分から手を上げて応えていた。

 物を作り出す行為が人に活気を持たせる。支えてくれる人が居ると生き方に違いが出てくる。授業内容にダブりながら俺ってなんのために大学に入るのだろう、改めて思う。商社マンか銀行員か一流どころの会社に入る。そのためにネームバリューのある大学を志望する。それしか頭に無い。この間の三者面談でもアンケートにも商社マンと回答した。だけど、声を大きくして言えるほどしっかりと自分の中に捉えた夢でも目標でも無い。

 俺は授業を離れて、昨日、岩城先生がこれからの歴史的研究課題だと言っていた事を思い出した。四百年続いた葛西一族の歴史と滅亡、この地域の製鉄産業の伝来と事跡、キリスト教伝来の経緯と時の検証。先生が言った言葉をなぞりながら自分の住む地域の事なのに知らない事ばかり、曖昧な歴史認識ばかりだと思う。話を聞いてそのことはハッキリしている。歴史学か歴史文学の道を選択しようか。分らないけど、今、自分の中で何か目標が見えてきたような気がする。支えてくれる人に美希が居る。そう思った。

 二時限目は九時半から始まる。美希が小母さんと町民病院に行ったはずの時刻だ。二時限目が終わるのが十時二十分。早ければその休憩時間に電話が来る。

 しかし、三時限目が終わっても昼時間になっても俺の携帯は鳴らなかった。弁当を食べた後、京子と梨花が来て、今職員室に呼ばれて行ってきたけどよさこいソーランの出演が決まった、野焼き祭り参加決定の連絡があったよと言う。そして美希が心配だと言った。頷くしか無かった。小母さんに付き添ってもらって病院に行ったことを言わなかった。今日は、六時限授業の日だ。三時ちょっと前に授業が終わる。帰りに美希の家に寄ってみよう、そう決めた。

 授業が終わって農業科の教室を覗いた。自分が担当してアンケートを取り直すことになった三人のうち二人が農業科だ。(あい)(佐々木)も(まもる)(千葉)もタイミング良く教室に居てくれた。愛はよさこいソーランの練習がこの後あると言い、護も卓球の部活だという。再調査の趣旨を二人一緒に伝えて、将来の目標等を何々関係に携わりたいとか、何々の方向に進みたいとか、それでいいことになったので今思っている事を、再度、紙に書いて提出してくれるよう頼んだ。二人とも後日提出すると約束してくれた。

 帰り支度をして昇降口に行くと、陸上部の浩(佐藤)がいた。今にもいきなりそこから走り出しそうな格好だ。聞くと、今日は曇り空だけど風が無い、気分転換にロード練習に出てみると言う。側に居たジャージー姿の小柄な静香(伊藤)は、俺は何も聞かなかったのに、私はグランドと言い、ニコッとした。