(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・1)
第三章 藤沢野焼き祭り
一
二人と別れて学校の駐輪場に着くと、陽が周って屋根が用をなさない。バイクの後部は熱くなっていた。美希のカブは無い。美希ん家に寄ってみよう。学生服を脱いで後ろの荷台に括り付けた。陽はまだ暑い。額の汗を拭い、ヘルメットを被りPCXのエンジンを吹かした。
道を戻って京子にバイバイしたばかりの商店街通りにぶつかるT字路に来て一旦停止した。ここにはやっぱり信号機があった方が良い、通学路だ。
京子ん家の千葉酒店の看板を右にみながら通り過ぎた。街を外れると田畑も野も山も緑が増したなと思う。稲は水面が見えないほどに育っている。山間の畑には茄子やキュウリにトマト、大豆など丈のある緑に、レタスや小松菜の緑の畝も広がる。所々に間もなく収穫する小麦の黄ばんだ畝が混じる。右に大籠キリスト教会入口の標識を見て過ぎた。
宮城県側になる平山牧場入口の立看を過ぎて、間もなく美希の家が左手に見えてきた。舗装された県道から外れ、斜めに緩やかな坂道を三十メートル程上る。平坦にならされた土地に築二百年以上にもなる大きな造りの家だ。坂道を一段下がった家の周りは畑だ。茄子やトマト、枝豆、トウモロコシなどの畝が今もかなり先の方まで見える。
親同士の付き合いもある。俺の家と近く、この家も畑も周辺の野辺も美希とは小さい頃から遊び慣れた場所だ。家屋は玄関口を真ん中にして左右に広がる。右の空き地は駐車場と耕運機などを停めておくスペースで、その先の納屋は収穫した野菜を出荷する時の作業場だ。一トントラックのタウンエースと美希のカブが見えた。小父さんのカローラが見当たらない。
「ごめん下さい」。
玄関口から二度ほど声を掛けると、縁側から美希が顔を出した。玄関口から左横に植え込みが続き、庭があって、ガラス戸の入った縁側が見える。
植え込みの間から庭に回った。
「どうした?、大丈夫か?」。
ガラス戸を開けた美希に声を掛けた。
「うん。バイクの音がしたから、俊ちゃんかなって思った」。
首を縦に振りながら言う。見たこともない格好にちょっと驚いた。襟にピンクと黄色の小さな花柄の刺繍をあしらった白の半袖ブラウスに濃い緑と黄色と赤のタータンチエックの膝上スカート、黒いストッキング姿だ。今朝に見た白シャツに細めの黒いズボンとは違っている。さっきまで一緒だった京子の淡いピンクのシャツに緑のスカート、肌色のストッキングの姿よりも大人びて見える。
ヘルメットを取って縁側に腰を掛けると、横に立ったまま、何か飲む?と聞く。
「いや、良いよ。それより先生も熊谷も京子も心配してた。病院はなんだって?」
美希はそれには応えず、障子を開けて座敷から座布団を二枚持ってきた。渡された一枚を尻に敷いて座り直すと右横に座った美希の膝小僧が気になる。庭に目を移した。庭の一番奥の竹藪の前に白い百合の花が数本咲いている。
「病院は今日で二度目なの」。
それは前に少し聞いた。美希は詳しく話し出した。
「五日前に初めて町民病院に行って、次の診察日に都合の良い日は何時かって病院の先生に聞かれて、学校があるって言ったら、医療相談ってことにして日曜日でも良いですよって言われたの。それで私の方から日曜日の今日にお願いしますって言ったの。
先生にお母さんかどなたか一緒が良いって言われて、今日は母と一緒に行く約束をしていた。でも朝方、母のお姉さん、米川の伯母さんが危篤だって連絡があって父と母が急に米川に行くことになったの。
父も母も心配して呉れたけど私は医療相談だから大丈夫だよって言って、でもちょっぴり不安だったから俊ちゃんに電話した。
今日、俊ちゃんが岩城先生の所に行く予定知らなかったけど、一緒に町まで出られたから嬉しかったよ。ありがとう。
病院に行ったら、先生が私一人と確認すると、明日にしましょうって言って、病院から私が母に電話して、母の明日の都合を確認して改めて明日、町民病院に行くことになったの」。
語る美希の顔を見ると、朝方に見た顔色より今の方が良い。いつもと変わりない笑みを見せている。だけど、俺は何か分らない不安に襲われた。
「今日の岩城先生の話ってどうだったの」。
話題を変えるように美希が言う。
「今朝ちょっと話していた葛西一族の話って面白かった?。三人が一緒に先生の所に行くなんて、きっと面白かったんだね」。
「あっ、いや」。
変な事が頭の中に浮かんでいて、俺は、すぐに答える言葉にならなかった。
「それで医療相談はすぐ終わったのか?」。
聞いたけど、なぜ来なかったのかと聞けない。
「先生が既にレントゲン写真を机の上のパソコンに広げていた。だけど私が、母が一緒に来られなくなった事情を言ったら、頷いて、明日にしましょうって優しく言ったの。
それで明日の九時半の外来予約になったの。医療相談はすぐ終わったけど、本当に体調が良くないって感じていたから俊ちゃんにすぐ連絡入れる気持ちにならなくて・・ごめんなさい。家に帰って少し横になって休んで、それから電話したの。連絡が遅くなってごめんなさい」。
美希は面と向かって頭を下げた。
「それは良いんだけどー」。
俺は次の言葉が出なかった。
「ねっ。俊ちゃん上がって」。
美希はそう言と、自分から立ち上がって俺の右腕を上に引っ張った。戸惑いながら靴を脱いで縁側の廊下に立つと、嬉しそうに俺の手を引く。少し進むと座敷を右側に鍵型に巻いた廊下を通って、左手にある部屋の前に来た。美希がドアを開けて入ってと促した。
そこは美希の部屋だった。初めて入る部屋だった。ドアを閉めると、いきなり俺の胸に飛び込んできた。怖いと言う。美希の肩に手を掛けた方が良いのか、どうしたら良いのか分らない。美希がワイシャツの俺の背中に手を回して強く縋り付く。そして、怖いとまた言った。
俺はさっき頭の中を過ぎったことを思い浮かべた。
「(病院の)検査結果か?」
かろうじて声にした。声がかすれた。
「うん」
声よりも、押しつけられて目の下に見える頭の動きだ。それだけの会話でも俺は少し自分を取り戻した。美希の小さな肩を両手で抱いた。
「大丈夫だよ」。
何が大丈夫なのか自分でも分らない。だけど、そう言って元気づけるしかない。泣いている。小さな肩をふるわせ嗚咽を抑えるように俺の胸に顔を押しつけてくる。髪の匂いが鼻孔に触れる。甘い香りに初めて気づいた。すると俺の胸が急にドキドキしてきた。背中にまわった美希の手の感触も、押しつけられた顔も胸の膨らみも俺は全身で感じだした。
美希も俺の胸の鼓動を感じているだろう。美希の肩に回していた両手を下げて背中に回した。顔を覗くと、涙が頬を伝っている。
「大丈夫だよ」。
もう一度言うと背中に回した手に力を込めた。美希が右の頬を俺の胸に付けたまま顔を上に向けた。頬に流れた涙に唇を持っていくとそのまま彼女の口を吸った。俺と美希の初めてのキスだ。