(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・43)
十七
リビングに差し込む光は強かった。照明が着いていなくても十分に明るい。お邪魔しますといいながら奥の方を覗くと、対面式のキッチンの間から奥様の笑顔が見えた。
「やっと降りてきたわね、千葉さん手伝って」。
前に来た時と同じように言う。食卓テーブルの真ん中には大きなホットプレートが据えられていた。周りに玉子と紅ショウガと豚のバラ肉が三つの皿にそれぞれあり、削り節の入ったパックが何個か重ねて置かれている。ソースとマヨネーズ、青のりは容器入りのまま並んでいた。
食卓テーブルの横を通って私もキッチンに入ると、大きなボールが二つあった。その横に剥き海老とアサリを水に浸けた小さなボール、細切りにしたイカをのせた皿、粗く刻んだキャベツを盛った皿、それに小口に切った青葱が丼の中にある。側の私に奥様は言う。
「さあ、ヤルわよ」。
指示の通りに私は一つのボールに小麦粉と剥き海老と水だけを入れた。かき混ぜドロッとしたところでキャベツと青葱と天かすを入れた。
「もう少しキャベツを入れて」。
具と粉の混ざり具合を見ながら奥様の指示だ。剥き海蝦とアサリとイカも入れた。奥様は溶いた小麦粉にキャベツと青葱と天かすだけを入れたもう一つのボールをかき混ぜている。ガスコンロにはホーロー鍋が掛けてある。何か暖めるためだろう、火が入った。
二つのボールで何枚のお好み焼きを作るのか、かなりの量になる気がする。そうか、美希ちゃんが来ないこと誰も言っていなかった。美希ちゃんの分まで作る分量に入れているのかも・・・。
「あのー、来る予定だった佐藤美希さんから先程電話があって、体調が悪いらしく来られなくなりました」。
「あら、何処が悪いの?」。
「それが・・、分らなくて・・」。
そういえば、誰も知らない。応えに詰まった。
「若くても体が一番。健康でないとね。会ったらお大事にと言っといて」。
美希ちゃんの顔も知らないはずなのに・・、優しいんだ。具材等の分量に変更はなかった。奥様は思い出したようにテーブルに着いている男三人の方に向かって声をかけた。
「貴方、ホットプレートを温めて」。
席は皆が前に来た時と同じように出窓のある側に及川君と熊谷君が座り、熊谷君の左横の椅子に先生が座っていた。奥様と私が二つのボールを食卓テーブルに運んだ。六人掛けと言っても二メートル一メートル程の幅のテーブルの上はたちまち狭くなった。
先生がホットプレートに軽く油を引いて中熱に設定していた。奥様の指示が無くても中熱に設定した所を見ると、先生も慣れているみたいだ。熊谷君と向き合う形で私が座り、奥様が私の左隣のキッチンに近い方の席に着いた。
「さあ及川君はこっちね。熊谷君こっち」。
奥様は同時に二つの具材をプレートの中に落とすよう指示した。
「くっつかないようにね」。
二つの具が交じり合わないよう指示する。お玉を持つ二人の真剣な顔と仕草に私は思わず可笑しくなって含み笑いをした。二人はぎこちない動きだ。
プレートの中の粉と具を広げてと二人に奥様の声が掛かり、豚バラ肉を載せてと及川君に追加の指示が出た。お玉を菜箸に持ち替えてバラ肉を丁寧に載せていく。及川君って結構器用なんだ。運動神経と関係あるのかしら。その動作をみながら奥様が二人に玉子を割って落としてと言う。割る二人の仕草がぎこちなかった。次に二人に返し金を持たせた。
「あなたお願いね」。
先生に向かって言うと、奥様は私をキッチンに誘った。先生にその後の二人の作業の指導を頼んだつもりらしい。
いつの間にかホーロー鍋の火は消されていた。奥様が食器棚から取っ手の付いた広口のカップを取り出し、私にお玉を持たせて取り分けるよう指示した。鍋の蓋を開けると、好い匂いがした。オニオンスープだ。奥様がお盆に乗せて運び役だった。
「豚肉は良く火を通して、そろそろ返していいよ、焼き具合が良い」。
先生の声が聞こえた。
戻って五人が席に揃うと、さあ、暖かいうちに食べましょうと奥様が声を掛けた。返し金で半月状のお好み焼きを切り分けていく。その役割も奥様の指示で及川君と熊谷君た。そして、プレートに次の具材を落としていく事も、焼く事も、切り分けていく事も二人の役割だった。取り皿の上でそれぞれがそれぞれの好みでソースやマヨネーズ、青のりや削り節の量を調整する。何事も個人を主役にする、主体的にさせる。これが数年前まで小学校の先生をしていた奥様の教育方針なんだ、そんな気がした。
「前と同じ、話をしながら食べよう。それでいいんだ」。
先生が言う。それで私は報告する気になった。
「先生、私、オートバイの免許を取りました」。
熊谷君が、口に持っていこうとしたお好み焼きを自分の取り皿に置いた。
「何それ。どうしたの?」。
「どうしたのって、勿論乗るためよ」。
「何処に、どう乗るんだよ」。
「何かバイク買ったの?」
立て続けに熊谷君と及川君の質問だ。
「買った。ホンダのスーパーカブ。先生に聞いた古城巡り、バイクでいいかも」。
咄嗟にそう応えた。普段乗る機会は少ないだろう。だけど何時か何処か知らない町に、遠くに行ってみたい気がしていた。それがさっきまでの話から古城巡りにお仕着せポロッと口にした。