(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・35)

 

「そう。政宗は小田原に向けていよいよ出立しようとする。それを知った母、義姫が、一献さしあげたいと政宗を招待した。

実母(はは)の心づくしの料理が食べられると政宗は招待されるままに出かけた。しかし、料理を口にしたその場で政宗はたちまち腹痛に襲われた。毒を盛られたと直感した政宗は食べた物をすぐに吐き出し、館に戻って解毒剤を飲み一命をとり止めている。

   それを後世の人の創作だという説もあり、また、政宗が弟を殺す理由にする為の自作自演だったとする説もある。事件の裏には家督相続争いのお家の事情が絡んでいた。  

   義姫は政宗の弟である小次郎を溺愛していて彼を家督にしたかった。義姫の裏で手を引いていたのが山形城主・最上(もがみ)義光(よしあき)、義姫の兄だ。家督争いが有るそこに小田原参陣に反対する有力な重臣が絡んでいたという説もある。秀吉何する者ぞと伊達の天下取りを夢見ていた家臣は、秀吉に(かしず)く政宗など想像もしていない。政宗の小田原行を阻止したかった。あるいは参陣反対派と小次郎がつながっていたのかも知れない。

   政宗は母との間の事件の二、三日後、小次郎の養い親と言われる家臣の家に小次郎を呼び出した。小次郎は疑いもなく出かけてくる。そしてその奥座敷で対座した形から自ら二太刀で小次郎を斬り殺している」。

「凄い」。

  及川君の声が入った。

「義姫はどうしたんですか」。

  今度は私が口を挟んだ。

「小次郎が殺されたその日の夜中に兄の最上義光を頼って山形に逃げている。政宗の小田原参陣。天正十八年の四月初めに米沢を出立し六月に入って小田原到着だった。二ヶ月もかかるなんて可笑しいよね。実は途中から一度米沢に引き返している。参陣反対派の不穏な動きがくすぶり続け、それを鎮めるのに戻らざるをえなかった。五月に入って再度出立して六月初めに小田原に着いたというのにはそういう事情もあった。 

  それだけに、裁判が終わって秀吉に京でゆっくりしていけと言われても、羽柴の名を貰っても官位を貰っても政宗は気が気では無かった。伊達家の由緒ある土地を失い家臣達の中に本当に謀反を画策する者が現れてくるのではないか、このまま家臣達から追放の憂き目にあうのではと不安だった」。