昨日、3月24日(金)、東京都港区にある増上寺光摂殿にて行われた前・日本赤十字社社長、大塚義治氏の「お別れをする会」に参会させていただきました。

 遺影の大塚氏は小生が一緒にお仕事をさせていただいて頃より、少しお顔が細いかなと思いました。

 この10年近くは暑中見舞いや年賀状等の交換だけで、実に10年ぶりにお見受けするお姿でしたが、この6年余は小生の駄作をお読みいただき、時に励まし、時にご意見等をお寄せしてくれた氏でした。

 昨年11月末に氏から頂いたお手紙には、「正直なところ、まだ退任した実感がわきません。おいおい肩の荷を下ろした気分と、寂しさをかみしめるようなことになるだろうと思っています」(原文のまま)と心境を吐露する一方で、「回を重ねるに従って文献調査の深化に始まり、文書力、構成力なども格段に増しておられるように思われます。筆者(小生の事)の構想によればゴールはまだまだ先のようですがそろそろ集大成の時期を考えてもいいのではないでしょうか」(原文のまま)とございました。

 

 背中を押していただいて、この1月から小生の作品を公開したところです。そして、1月18日、小生の友人、知人にブログ開設を周知する以前にアクセス数が日に100を超えました。

 見ず知らずの方がこんなにもお読みくださる、その嬉しさのあまり大塚氏宛にブログを開設したよ、検索のアクセス記号等はこれだよ、と知らせる手紙を送付させていただいたのです。1月17日に氏が他界しているとも知らずに。

 1月25日、朝食をとりながら何気なく見た朝日新聞朝刊の訃報欄で初めて氏の死を知り、唖然としました。部屋に戻ってパソコンの前で大泣きしました。

 小生の浮いた手紙は氏にもご家族様にも大変失礼なことでした。すぐに奥様宛にお詫びの手紙を認めさせていただきました。

 

 それゆえ、昨日は氏からの最後のお手紙を胸に忍ばせ、遺影に、ブログで作品を公開しているよ、全国多くの皆様にお読み頂いているよ、日に100を超えるアクセスもあるよと報告させていただきました。

 また、参会者の退出口に立つ初対面の氏の奥様に声をかけさせていただき、改めてお詫びを申し上げてきました。

 

 大塚義治氏の遺影を飾る祭壇は、天皇陛下と皇后さま、上皇様とその皇后様の名を頂いた白菊等で大きく飾られ、彼の功績にふさわしいものでした。小生のブログをお読みくださる皆様にご報告させていただきますとともに、大塚氏のご冥福をご一緒にお祈りいただければ幸いです。

       衷心より大塚義治のご冥福をお祈りいたします。合掌。

令和5年3月25日。