(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・25

 

一、桃生(ものう)(宮城県)深谷(ふかやの)庄和淵村(しょうわぶちむら)に出陣、八百余騎

 大将 千葉(ちば)()(まの)助胤元(すけたねもと)登米(とよま)西郡(にしごおり)城主)

 大将 千葉十郎五郎(ちばじゅうろうごろう)(たね)(なが)桃生(ものう)女川(おながわ)城主)

    千葉(    ちば)修理(しゅりの)(すけ)胤則(たねのり)登米(とよま)(おいお)河原(がら)城主)

   及川(       おいかわ)紀伊守頼(きいのかみより)(さだ)登米(とよま)鱒淵(ますぶち)城主)

   岩淵(      いわぶち)近江(おうみの)(かみ)(つね)(ひら)(いわ)井東山(いひがしやま)藤沢城主)

   深堀(      ふかぼり)新左衛門尉(しんざえもんのすけ)(たけ)(とら)(磐井東山黄海(きのみ)城主)

    及川(おいかわ)美濃次郎頼兼(みのじろうよりかね)(磐井東山津谷(つや)(がわ)城主)

    菅原(すがわら)左近将監重國(さこんしょうげんしげくに)(本吉山田城主)

    三條(さんじょう)小太夫(しょうだゆう)(ちか)(はる)(本吉小泉城主)

    寺崎(てらさき)伊予(いよの)(かみ)祐光(すけあき)(桃生寺崎城主)

    飯野(いいの)但馬(たじまの)(かみ)正秋(まさあき)(桃生飯野城主)

    米倉(よねくら)右近(うこん)(ゆき)(とも)(本吉津谷(つや)住人)

   嶺岸(      みねぎし)数馬(かずま)(あり)(もり)(本吉津谷住人)

           嵯峨(           さが)館左近将監(だてさこんしょうげん)

           水戸部(     みとべ)九郎(くろう)

    箕輪            みのわ衛門えもん歌津うたつまのすけ

 

二、桃生(宮城県)中津なかつ山神やまかとり(香取)に出陣、千七百余騎

 大将 千葉(ちば)飛騨(ひだの)(かみ)(たね)(しげ)(磐井東山大原城主)

 大将 及川(おいかわ)掃部頭(かもんのかみ)重綱(しげつな)(気仙蛇ケ崎城主)

    千葉九郎(ちばくろう)三郎(さぶろう)(たね)(とき)(磐井東山奥玉城主)

    及川(おいかわ)美濃守頼(みののかみより)(かつ)(磐井東山鳥海(とりみ)城主)

    千葉(    ちば)(うまの)助吉(すけよし)(たね)(磐井東山(かみ)折壁(おりかべ)城主)

    千葉(ちば)遠江守(とうおみのかみ)胤宗(たねむね)(磐井東山(しも)折壁(おりかべ)城主)

    千葉(ちば)修理(しゅりの)亮家(すけいえ)(たね)(磐井東山清水(しみず)馬場(ばば)城主)

    熊谷(くまがい)(しゅ)(めの)(すけ)為安(ためやす)(本吉気仙沼城主)

    安部四郎(あべしろう)左衛門尉(さえもんのすけ)重時(しげとき)(本吉唐桑(からくわ)城主)

    横田(よこた)()渡守(どのかみ)(つね)(ふゆ)(気仙横田城主)

    人首権(ひとかべごん)太夫(だゆう)江刺人首(えさしひとかべ)住人)、

    伊手(     いて)隼人(はやと)(江刺伊手住人)、

  摺沢将監(      すりさわしょうげん)寺沢(てらさわ)丹後(たんご)(いわ)(じり)対馬(つしま)矢作内(やはぎない)(ぜん)上有住(かみありずみ)左近(さこん)

 

三、栗原郡(宮城県)高清水の森原山に出陣、千五百余騎

 大将 千葉(ちば)甲斐(かいの)(かみ)(たね)(かつ)(磐井東山薄衣(うすぎぬ)城主)

    千葉(       ちば大膳(だいぜんの)(すけ)(たね)(むら)(磐井東山長坂(ながさか)城主)

   昆野(       こんの)小次郎(こじろう)定住(さだずみ)(磐井東山千厩(せんまや)城主)

    柴(     しば)(また)大学(だいがく)義武(よしたけ)(磐井東山釘子(くぎご)城主)

    笹町新九郎(      ささまちしんくろう)(つね)(ひさ)(磐井東山西釘子(にしくぎご)城主)

    岩淵(      いわぶち)壱岐(いきの)(かみ)(つね)(みち)(西磐井赤荻城主)

    千葉(    ちば)左門(さもん)胤連(たねづれ)(西磐井(ながれ)日形(ひかだ)城主)

    千葉彦次郎(ひさ)(たね)(西磐井(ながれ)富沢(とみざわ)城主)

    及川(      おいかわ)主計正頼(かずえのしょうより)(つね)(西磐井男沢(おざわ)城主)

    蝦(      えび)(しま)蔵人(くらんど)盛永(もりなが)(西磐井(えび)(しま)城主)

    砂子(      すなご)()帯刀(たてわき)増沢(ますざわ)滝口(たきぐち)太郎(たろう)金成(かんなり)右近(うこん)太夫(だゆう)畑村(はたむら)対馬(つしま)

 

 私はすかさず、コピーをもらっていいですかと先生に申し出た。熊谷君も及川君もすぐに書き写し出来るものではない。二人も同調して、先生、お願いしますと言った。先生はあっさりと、ああ、良いよと言う。先輩諸氏の著作物を参考に自分なりに整理したけど、ネットにも公開されていると言う。先生は、ここに上げられているのはみな一応の武将だったろうと言った。

「葛西真記録等には、中津山神取(香取)に陣取った軍は対岸の(はさま)(がわ)河畔に陣を敷いた和渕軍が仮に破れ、敵が北上川の支流の迫川を渡り攻め来きたら直ちに迎え撃つ、挟み撃ちにする為に配置したと戦術も書いてある。

 また森原山は奥州街道を東側から来る敵を臨むことが出来て、登米(とよま)()(ぬま)方向に進軍してくる上方軍をこの地で食い止める作戦だったらしい。これに対する上方軍の軍勢は豊臣秀次五千騎、蒲生氏郷(がもううじさと)四千騎、浅野長政三千騎、石田三成千五百騎、大谷吉継(おおたによしつぐ)五百七十騎、木村吉清(よしきよ)三百騎、それに相馬(そうま)(よし)(たね)や南部信直、伊達政宗等の軍が動員され、総勢二万騎を超えたと言われている。