(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・23)
奥州、出羽の仕置きは全て政宗に任されたとの文面は晴信をまんまと騙す事になる。
このことがなかったら晴信は浅野長政や前田利家を通じて秀吉への接触を試みたかもしれない。政宗はそれを阻止したかった。会津三郡等を取り上げられた政宗は、まだ自分以外の奥州の武将への処置がどうなるか分らない。
晴信が本領安堵を勝ち取れば奥州制覇の野望を持つ政宗にはその後のことがやっかいになる。そう考えて政宗は晴信と秀吉方との接触を徹底して阻止したかった。それで、あたかも自分が奥州一帯の処置を任されたかのように虚言の書状を発行した。正に政宗のパフオーマンスであり謀略だ。
政宗は晴信に限らず同様の書状を奥州和賀郡の和賀信親、稗貫郡の稗貫輝家や裏で通じていた葛西氏家臣など方々へ発行している。この虚言の書状に騙されて、稗貫輝家は今後宜しく頼むと態々政宗宛に礼状すら書いている。
しかし、葛西晴信と豊臣秀吉との関係だけで冷静に見れば、晴信にとっては政宗の虚言がなかったとしても「時、既に遅し」だ。政宗の小田原参陣の状況を思ってごらん。その時、政宗は首をかけている。政宗ほどに力の無い晴信が更に遅れて、しかも小田原征伐が終わった後にのこのこ秀吉の前に現れたら、そんな武将に秀吉が本領安堵を言うわけがない。晴信が浅野長政や前田利家にこの時点で働きかけても無駄だったろう。
秀吉はそれから間もなく宇都宮で伊達政宗、最上義光に情勢を聞きながら奥州・出羽にかかる仕置きの方針を決定している。
むしろ、この同じ天正十八年七月二十二日付けの他の政宗の書状で分った重要な事がある。一つは晴信には翌日の二十三日に宇都宮に向けて出立する事を知らせず、裏で通じていた晴信の家臣の富沢日向守には教えている。もう一つ、これを見たとき私もショックを受けたけどね。見てごらん。号、流斎、実は葛西重俊に宛てた政宗の書状だ」。
先生はピンク色の事務用ファイルの一ページを開いてテーブルの上に置いた。インデックスに政宗文書とある。
葛西流斎へ被下候御書写
就自小田原草々下向候 自晴信被企使者候
祝着之至候 殊為自分細書本望之至候
如来意之 今度仕合存分候 奥州出羽仕置
政宗二被仰付 旁々御悦喜可在之候哉
弥晴信当方へ一統之御刷 畢竟旁々前二可
有之候 関白様近日御下向二付而
明日廿三為御迎打出候 依早疎及回答候
意外候 尚彼口上可有之候 恐々謹言
追而 夷皮三枚到来 一入珍候
喜悦候 以上
天正十八年七月廿二日 政宗御書判
流斎
「重俊は、葛西晴信の弟・胤重の息子で、晴信にとって甥であり十五代葛西氏当主晴胤の孫だ。ここでも文面に奥州・出羽の仕置きは政宗に仰せ付けられたとあり、方々お喜びすべきではないかの次だ。弥太郎の「弥」の字はいよいよと読む。いよいよ晴信当方へ一統のお計(刷)らい、畢竟はつまるところ、方々の前にあるべき候は、他の郡主達より先にということだ・・その所だ。晴信は独立大名として対外的に行動してきているのに、この文面を見ると、なんと葛西の重臣、重俊が政宗と通じていて伊達への従属を画策していたことになる。他の大名、領主に先んじて晴信が政宗に従えと言っている。また重俊にも明日二十三日に秀吉を迎えに宇都宮に出立すると政宗は伝えている。伊達政宗の葛西内の切り崩しの謀略がここにも見える」。
「凄い話になってきたな。先生、この政宗文書ですか、葛西晴信の書状も含めてこういうのはどこから入手するんですか」。
今まで気持ちが沈んでいたような及川君が質問した。美希ちゃんのことが気になっていたのかな。やっといつもの及川君らしい声が聞けた。
「そうだね。勿論、諸先輩がまとめた歴史書や研究発表資料の発刊されたものを入手して知ることが多いけど、君達も覚えておいた方がいいね。図書館の使い方、図書館の有効利用の方法を知っておいた方が良い。
葛西文書も伊達文書も私は図書館を通じて入手している。自分の住む町なり市の図書館に出向いて館員に書籍名が分っていればそれを伝え、出版社や作者、編集者等が分ればそれも伝える。書籍名が分らなければ知りたい内容を伝える。そうすればコンピュータで検索して調べてくれる。その検索が凄いよ。自分が今訪ねた図書館の蔵書の分だけでなく全国を通じて探し当てたい書籍を検索してくれる。その上で更に書籍が国会図書館に有ろうと何処の図書館に有ろうと、貸し出し可能な書籍は原則、取り寄せ可能かどうか打診してくれる。しかも時間がかかるけど無料だ。
但し、国会図書館の書籍は貸し出すけど窓口になった図書館内で閲覧すること、さすがに持ち出し禁止になっている。
また閲覧参考図書と限定されている図書があって、それは収蔵している図書館に出向いて決められた場所と時間内で閲覧することになる。
私は左京太夫葛西晴信で検索して貰って、関係資料等が国会図書館にのみ有ることが分った。それを取り寄せて貰って、窓口になった図書館に約一ヶ月通い閲覧した。
驚いたよ。その書籍、資料は三部に分かれていて出版社(耕風社)が気仙沼市内とあってすぐ近くだったんだ。資料の集成に当たったのは葛西晴信研究には欠くことの出来ない地方史家(西田耕三氏)だった。伊達文書は閲覧参考図書扱いで蔵書にしていた一関市立図書館まで閲覧しに行ってきた。コピーは出来るよ。著作権の問題からか、国会図書も閲覧参考図書もコピーはページ数の半分以下と決められている。A四判一枚十円がコピーの大体の基本料金だね。及川君良い?」。
「はい、良く分りました。行った図書館にある本でしか探さなかったし、それが当たり前だと思っていました。先生、先生の話、先が聞きたいっす」。
ちょっと大きくなった及川君の声に私も熊谷君も少し笑った。先生は残りのジュースを飲むと、その手を伸ばしてグラスを右横の机の上に戻した。