(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・21)

 

「はい、備中(びっちゅう)岡山(おかやま)から招いた大八郎、小八郎の千松兄弟がキリスト教徒だったので、彼らが来た頃にこの地域にキリスト教が伝わった。備中のキリシタン大名の宇喜多秀家の所領から二人が来たので、彼ら兄弟がキリシタンであることに間違いないとか」。

熊谷君が応えた。

「それなんだよ。布留兄弟が来た一五五八年頃にこの大籠地区に早くもキリスト教が伝えられたという説があるが、私は大いに疑問に思っている。

 日本キリスト教史にも記述されているが、キリシタンの伝播はまずは九州地域内と今の山口県山口市辺りだ。日本にキリスト教布教の目的を持ったフランシスコ・ザビエルは、今の山口県の岩国から船で大阪の堺に出、そこから京都に上り当時の足利将軍や天皇に謁見して日本での布教活動の許可を得ようとした。

 しかし彼は、長く続く戦乱の世の荒廃した京の都に失望し、謁見できぬまま山口に戻った。周防(すおう)(のくに)山口で大名の大内義隆の許可を得て布教活動をするが、来日二年後の一五五一年十二月には一緒に来日した同僚のコスメ・デ・トーレス神父に布教を託して日本を離れている。

 トーレスが日本で十八年間にわたって布教活動をしているが、日本国中戦国の世ということでその活動はかなりの期間、九州と山口に限定されている。

 キリスト教が山口を離れて畿内地方、今の京都、大阪等に伝わったのさえ織田信長によって政治的安定がもたらされた元亀元年、一五七〇年頃とされている」。

 先生の手元にある藤沢町文化振興協会の発行した小冊子にはびっしりと、書き込みがしてある。それを見ながらの先生の話だ。

「葛西晴信は一五六九年に上洛して信長に謁見し本領安堵を得ている。上洛した際にその前年から始まった信長の楽市楽座の様子を見ることも出来たろう。そこに鉄砲やバテレンの洋服を着た宣教師や異国人を見ることも出来たろう。キリシタン教徒も見てきていると思われる。

 また宇喜多秀家が生まれたのは元亀三年一五七二年だ。前田利家の娘で有りながら、二歳の頃から秀吉の養女として育った(ごう)(ひめ)を天正十五年、一五八七年頃に嫁にして、その豪姫がクリスチャンだったことから秀家もキリシタンに改宗した。そのため秀家と家臣団や僧侶との間で大騒動となった。そういうことが古文書で明らかになっている。

 布留兄弟が大籠地域に来た一五五八年より遙か後になって宇喜多秀家の生誕、育った時期になる。それらのことを考慮すると、布留兄弟が宇喜多秀家の所領から来た事をもって一五五八年に大籠地域にキリスト教が入ってきたというのには、相当無理がある。 

 ただ兄弟を迎えに行った千葉土佐の二十七回忌の供養碑が発見され、亡くなったのが天正十二年一五八五年とハッキリしている。しかも、土佐は亡くなる前の十七、八年はクリスチャンとして信仰生活に入っていたと記録されていることから逆算すると、永禄十年一五六八年頃には大籠地域にキリスト教が伝来していた事になる。

 私は、この地域へのキリスト教伝来に布留兄弟というより京の都を見聞した葛西晴信や岡山まで足を運んだ千葉土佐が大きく関わっていたのではないかと思う。

 昭和になって次々と隠れキリシタンの礼拝洞窟や処刑場などの遺跡、文物がこの地域に多く発見されている。大籠殉教公園の資料展示室に収蔵されている位牌の中のマリア像や髪の毛を結ぶリボンを十字架にした聖徳太子の掛け軸などの文物は郷土の宝物だ。

 また長崎の島原の乱の外に三百人を越える殉教者を出した地域は、この大籠以外に聞いたことがない。それだけに、この地域にキリスト教が伝来した時と経緯の歴史的検証が必要だし、これも大きな研究課題だと思っている。

 もう少し余談を云うと、長崎市に殉教者二十六聖人の像が祭られている。二十六人は豊臣秀吉による最初のキリシタン弾圧迫害の犠牲者だ。その像の製作は、昭和の著名な彫刻家、舟越(ふなこし)(やす)(たけ)さんだ。

 今、大籠殉教公園に造られた殉教者三百九人分の階段を上ると、クルス館って呼ばれる舎屋にたどり着くよね。階段はキリストが十字架を背負って処刑場のゴルゴタの丘に上るのを模して作られている。たどり着いた丘は三百六十度、近隣の山々を見渡せる素晴らしい景色だ。そこに経つ鐘楼とクルス館は君達が知っているように厳かだ。クルス館にキリスト像が祭られているけど、その彫刻の作者を知ってる?」。

 熊谷君と及川君が首を縦に振ったけど、私は知らない。先生の質問の仕方から、若しかしてそれも舟越さんの作品?と私は心の中で思った。

「その像も舟越さんの作品だ。きれいな顔をしたキリスト様だね。聖クララ、聖マリア・マグダレナの胸像もあるね。舟越さんは岩手県盛岡出身だしこの藤沢町にも何回か訪れている。郷土の誇れる先輩と作品として覚えて置いた方がいいね。

 葛西晴信といい、製鉄のこともキリシタンのことも、そして舟越さんのこともみな自分の郷土のことなのに、なんでこんなに無知だったんだろう。私は恥ずかしさを感じる妙な気持ちと戸惑いに思わずため息が出た。見ると熊谷君も及川君も真剣な顔だ。