(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・14)

 

   当時は、皆も知っている通り世は戦国時代だ。当時の武士団の一族繁栄は良い領地をいかに所持するかにかかっている。それには隣国との戦いで勝って領地を拡大するか、新たに土地を開墾するかしかない。

   頼朝の鎌倉幕府時代以来、トップに立つ者は配下にある者の功績や手柄に所領を与えて応えることが当たり前になっていた。また一家の惣領は惣領で、管理している土地を兄弟等に分割して贈与するのも当たり前だった。それらが長年繰り返されれば如何(どう)なると思う。上に立つ者が与えることの出来る所領の土地に限界が出てくる。また一人の持つ領地は細分化される。そのことは、今の私達にだって想像できるよね」。

   どうなると聞きながら、先生は自分で答えを出し、続けた。

「葛西晴信が生きた時代は繁栄の根本が領地支配にあったから、領地拡大を巡って度々隣国との戦になる。親類縁者の間であっても、代替わりすれば従兄弟(いとこ)同士、縁戚同士で領地の境界争いも奪い合いも起こりうる。また兄弟の中でも領地の管理権と一族支配を巡って家督相続の争いもある。

   土地の細分化によって主家も分家も弱体化してしまうことに気づいた武士団は、室町時代の終わり頃から所領を単独相続するようになってきた。しかし、後世のように長男が必ず相続するというものではない。子供同士の争いから、実力ある子供を支援する一族、家臣を巻き込んでの争いが起こる。それに加えて、鉱業・海運業等も発達し物流、商い等で財力を得た者の中に武力を蓄え既成の支配者に代わってのし上がろうとする者も出てくる。いわゆる下克上の起こり易い時代だった。そのことを念頭において当時の葛西領はどういう状況だったかを考えてみよう」。

   そう言う先生は残りのジュースで喉を潤した。

「葛西晴信は天文三年、一五三四年の生まれ。彼が葛西宗家を継いだのが永禄三年、一五六〇年二十七歳と伝わっている。そこから天正十八年の葛西氏没落まで三十年・・」

   そう言う先生に熊谷君が待ったを掛けた。学生服の内ポケットを探って大きめの手帳を取り出した。それを見た及川君も慌てて手帳を取り出し胸ポケットからボールペンを手にした。二人は先生に葛西晴信の生年等を改めて質問した。それから先生の話が続いた。

「この間に、葛西領内にどんな騒乱があったのか、特に小田原参陣遅れにつながる騒乱があったのか、参陣の時期が迫る頃に出立の障害となるような事情があったのか、それは熊谷君が質問したように私も当然関心があったところだ。それで奥州葛西記、葛西実記、葛西盛衰記、葛西真記録など葛西一族について書かれた古書や岩手県史、藤沢町史等から、当時、何があったか拾ってみた。一覧にしてあるよ、それが‥」

   先生が本棚から厚さ十センチもある青いバインダーを引き出し、A四判三枚を外して私達の前に広げた。一五七〇年から没落を迎える一五九〇年までの二十年間を調べてあるけど、この三枚(別掲、紛争1~3)はそのうちの奥州仕置き前十年間の騒乱だという。質問をした熊谷君が一等最初にそれを手にした。そして及川君、私と回ってきた。

「良く分らない騒乱は載せてないけどね」。

途中先生の補足が付いた。十年間に十数件の騒乱が載っているのを見ると、葛西晴信の人生って戦に明け暮れた人生なんだなって思った。それにこの資料は家臣間の紛争等何が有ったかを示していたから熊谷君の質問に具体的に答えていると私は思った。しかし先生は、三人が一巡して資料を見たのを確認してから、この資料からは直接には葛西晴信の小田原参陣を思い止どまらせる切羽

詰まった状況が見えてこなかったと言う。

 

 

 

 

(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・14)

 

   当時は、皆も知っている通り世は戦国時代だ。当時の武士団の一族繁栄は良い領地をいかに所持するかにかかっている。それには隣国との戦いで勝って領地を拡大するか、新たに土地を開墾するかしかない。

   頼朝の鎌倉幕府時代以来、トップに立つ者は配下にある者の功績や手柄に所領を与えて応えることが当たり前になっていた。また一家の惣領は惣領で、管理している土地を兄弟等に分割して贈与するのも当たり前だった。それらが長年繰り返されれば如何(どう)なると思う。上に立つ者が与えることの出来る所領の土地に限界が出てくる。また一人の持つ領地は細分化される。そのことは、今の私達にだって想像できるよね」。

   どうなると聞きながら、先生は自分で答えを出し、続けた。

「葛西晴信が生きた時代は繁栄の根本が領地支配にあったから、領地拡大を巡って度々隣国との戦になる。親類縁者の間であっても、代替わりすれば従兄弟(いとこ)同士、縁戚同士で領地の境界争いも奪い合いも起こりうる。また兄弟の中でも領地の管理権と一族支配を巡って家督相続の争いもある。

   土地の細分化によって主家も分家も弱体化してしまうことに気づいた武士団は、室町時代の終わり頃から所領を単独相続するようになってきた。しかし、後世のように長男が必ず相続するというものではない。子供同士の争いから、実力ある子供を支援する一族、家臣を巻き込んでの争いが起こる。それに加えて、鉱業・海運業等も発達し物流、商い等で財力を得た者の中に武力を蓄え既成の支配者に代わってのし上がろうとする者も出てくる。いわゆる下克上の起こり易い時代だった。そのことを念頭において当時の葛西領はどういう状況だったかを考えてみよう」。

   そう言う先生は残りのジュースで喉を潤した。

「葛西晴信は天文三年、一五三四年の生まれ。彼が葛西宗家を継いだのが永禄三年、一五六〇年二十七歳と伝わっている。そこから天正十八年の葛西氏没落まで三十年・・」

   そう言う先生に熊谷君が待ったを掛けた。学生服の内ポケットを探って大きめの手帳を取り出した。それを見た及川君も慌てて手帳を取り出し胸ポケットからボールペンを手にした。二人は先生に葛西晴信の生年等を改めて質問した。それから先生の話が続いた。

「この間に、葛西領内にどんな騒乱があったのか、特に小田原参陣遅れにつながる騒乱があったのか、参陣の時期が迫る頃に出立の障害となるような事情があったのか、それは熊谷君が質問したように私も当然関心があったところだ。それで奥州葛西記、葛西実記、葛西盛衰記、葛西真記録など葛西一族について書かれた古書や岩手県史、藤沢町史等から、当時、何があったか拾ってみた。一覧にしてあるよ、それが‥」

   先生が本棚から厚さ十センチもある青いバインダーを引き出し、A四判三枚を外して私達の前に広げた。一五七〇年から没落を迎える一五九〇年までの二十年間を調べてあるけど、この三枚(別掲、紛争1~3)はそのうちの奥州仕置き前十年間の騒乱だという。質問をした熊谷君が一等最初にそれを手にした。そして及川君、私と回ってきた。

「良く分らない騒乱は載せてないけどね」。

途中先生の補足が付いた。十年間に十数件の騒乱が載っているのを見ると、葛西晴信の人生って戦に明け暮れた人生なんだなって思った。それにこの資料は家臣間の紛争等何が有ったかを示していたから熊谷君の質問に具体的に答えていると私は思った。しかし先生は、三人が一巡して資料を見たのを確認してから、この資料からは直接には葛西晴信の小田原参陣を思い止どまらせる切羽

詰まった状況が見えてこなかったと言う。