(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・11)
六
「明日、岩城先生の家に行くことになったけど、来るか?」。
熊谷君からの電話だ。
「さっき及川から電話があって、彼奴、岩城先生に日曜日に遊びに行って良いかって聞いたらしいんだ。聞いたというより、頼み込んだといった方が当たっているかもね。
勿論、葛西一族、奥州仕置きにまつわる先生の話が聞きたいんだ。俺は行くことにした。及川が千葉さんに声かけたらどうだって。でも、昨日学校休んだだろう?。どうしたのかなとも思っていたんだけど・・、明日は、先生の家に待ち合わせは午前十時だ、どうする?」。
「明日って、今日の明日で急に言われることって、困ん(る)のよね」。
免許を取りに行く予定だった予定が無くなったのだから日曜日に私に特に用事は無い。だけど、ちょっとそう言ってみた。及川君に言われなくても熊谷君が自分の意思で誘ってくれればいいのに。でも昨日学校休んだことちょっぴり気にしてくれてたんだ。
「何処で待ち合わせるの」
もうOKしたことになる。
「徳田に行く入り口、上町の赤坂神社あるだろう。その石段の下辺りに九時四五分、待ち合わせにしている」。
「分った、行く。でも手ぶらでいいの?」
少し沈黙の時が流れた。
「やっぱり何か菓子折でも持参した方がいいのかな?」
「明日行くと、先生の家へは何回目?」。
「三回目になる」。
「今まで何か持って行ったことって、あった?」。
「いや無いね」。
「先生絶対受け取らないだろうから、私たちも一緒に食べるような、果物かおやつになるような物、持っていかない?」。
「うん、何が良いんだろう」。
熊谷君とそんなやりとりをして、明日及川君と会ったら、何か持参する物を一緒に決めることにした。
朝食が終わると、熊谷君や及川君と岩城先生の家に行ってくると母に伝えた。
「昼ご飯は?」。
「適当に三人で外で済ますからいい」。
「先生の奥様に迷惑かけるンじゃないの、この間みたいに」。
「先生は酒がいける口か?。普段世話になっていん(いるん)だが(か)ら関山でも持ってけ(行け)」。
手洗いから戻った父が途中から私と母との会話を耳にしたらしく、食卓テーブルの椅子に座りながら口を挟んだ。関山は甘口の地酒だ。先生が酒を飲むのは、一度、野焼き祭りの会場で見たことがある。父の言う、いける口とは酒を幾ら飲めばそう判断するのだろう?。父を基準にしたら、一度の飲む機会に少なくとも四合壜一本を一人で飲めなければということになるだろう。誰が来ても酒の席となると一升瓶を側に置く父だ。
「外に熊谷君も及川君も行くのだからお酒は持って行かない。三人で手土産をどうするか話し合う事にしている」。
柱時計はまだ八時前で、出かけるまでにまだ一時間近く余裕がある。赤坂神社の石段下までは家から十分とかからない。部屋に戻って葛西晴信、奥州仕置き等のプリントをもう一度開いて見ることにした。熊谷君も及川君もきっと基礎知識を仕入れて来るだろう。なんとなく張り合うような気持ちになった。
昨夜、熊谷君の電話の後、居間でテレビを見ていた父と母に、戦国時代の終わりの葛西晴信って武将知ってる?って聞いた。
「武田晴信か?」
念を押すように聞いて、それから武田信玄のことだよ、と答えた。
「否そうじゃない。じゃ岩淵近江守は?」。
「それはこの藤沢のお殿様、館山城主だって聞くけど・・、何時の時代のことか分からないね。伊達の殿様になってここは江戸の中頃から明治の初めまでは奥山何とかってお殿様で、その末裔が今も米川だか仙台に居るって話、聞いた事がある」。
言葉尻を父が母に向けたけど、母は首を横に振っていた。
「奥州仕置きは?」
「仕置き?、奥州合戦じゃないのか?。奥州合戦の藤原三代の話。頼朝、義経とは違うのか?」。
逆に質問された。調べたばかりの豊臣秀吉による奥州仕置きの概略と、そのために約四百年もの間この藤沢町周辺を支配していた葛西氏、葛西晴信の一族・家来等が滅亡したと話したら、父母が揃ってへーッと言った。
「隠れキリシタンの里で、この町もこの五十年世間に表立って知られるようになったけど、まだ隠れた歴史があったが(か)ね」。
父が驚いた顔を向けながら言った。父母を相手に、昨夜も何か岩城先生の所に行くための予習をしているようだった。