(サイカチ物語・第二章・葛西一族の滅亡・1)
第二章 葛西一族の滅亡
一
「後藤自転車・オート」と白地に黒で書かれた店の看板は少し色あせて入り口の屋根のほぼ一杯に据え付けられている。間口幅三間ほどの店は、この町ただ一軒の自転車とオートバイの販売店であり修理店だ。
ガラス戸を左右に開け放した店の表には人一人通るほどの隙間を真ん中にして左側に自転車、右側にオートバイが並べられて有る。店に入る前に並ぶオートバイを下見した。気を引いた一台はブルーメタリックと白地の車体だ。格好いい。消音マフラーが陽に当たって銀色に輝いている。見ているうちに胸がドキドキしてきた。
家を出るとき父がホンダスーパーカブ五〇CCが良いよと言った言葉に誘導されたわけではないけど、いつの間にかその車種を探した。これが私の物になるのかしら。ハンドルとヘッドライトの間にぶら下げられた正札を見て予算内に有ることを確認した。余計に胸がワクワクしてくる。
店の中に入ると機械油の匂いが鼻をついた。白い繋ぎ服の小父さんが開けた胸に灰色のシャツを覗かせて一生懸命に自転車を修理している。声をかける前に声をかけて呉れた。
「いらっしゃい」。
初めて気づいたという顔をして、下から見上げた。
「今日は。オートバイを買いに来ました」。
小父さんはゆっくり立ち上がった。油で先が汚れた工具を手にしたままだ。
「誰が乗る?、何に使う?」
「私、私が乗ります」。
利用目的を口にするのに戸惑った。街の中にある私の家から学校までは四百メートルと離れていない。学校は地域の過疎化が進みバスの便が大幅に減っている事を考慮して通学にオートバイや自転車の使用を認めている。しかし、認めているのは学校の駐輪場から生徒の家までの距離が二キロ以上離れている場合と決められている。しかも、駐輪場の利用には学校が役場から借りている限られたスペースということもあり、自転車でもオートバイでも学校の事務室に届け出て校長の使用許可がいる。
通学に認められているオートバイは軽二輪と言われる250CCまでだ。小父さんも商売上それらのことを知っているだろう。私の家と三百メートルと離れていないお店だ。どれほどのお付き合いがあるのか分らないけど、私の父や母も知っている小父さんに通学のためと嘘は言えない。
素直に学校の休みの日に千厩(町)や一関(市)に用足しに出かけるときに使用すると言った。
「父ちゃん母ちゃんはOKす(し)たのが(か)?」
はいと返事をすると、それ以上のことは聞かない。
小父さんが薦めて呉れたのは安全性、乗りやすさ、扱いやすさからスクーターだった。
私が女性であることも考慮してスクーターを薦めたのだと思う。しかし、私は、いかにもオートバイらしさを感じる物が良い。田舎と言っても今は何処へ行っても道は舗装されている。安全だろう。熊谷君が乗っているヤマハのセロー250や及川君が乗るホンダPCX150に性能も格好良さも敵わなくても、私は、購入するオートバイに颯爽と跨がれるオートバイらしさを求めている。
四日前の四月二十九日祭日、熊谷君と及川君に頼みこんで一緒に気仙沼に行ってきた。熊谷君が用意してくれたヘルメットを被って、交代で二人の後ろに乗せて貰った。風を切るスピードと後ろに流れる景色とオートバイのエンジン音に私はすっかり魅了された。ゴールデンウイーク最後の四連休にバイクを買おう。免許を取ろう。熊谷君にも及川君にも言わなかったけど、家に帰ってきたときにはもう心に決めていた。
その翌日。夕食の後に、父と母にオートバイの購入と使用を許して貰おうと話を持ちかけた。反対された。家が町中にあって買い物にも他のことにもバイクを持つ必要性がないとか、出かけるのに必要ならば父母の運転する自家用車に乗ればそれで事足りるとか幾つかの理由を並べて反対された。私は、ファッション性の服や小物が欲しくてもこの町には無いとか、話題の映画を見るにも一関の街まで出なければならないとか、私の用足しにいちいち父や母が付き添う姿なんて友達の手前見せられないとか、兎に角、父母を説得するのに丸三日かかった。