(サイカチ物語・第一章・ルーツ・32)

 

   及川君の返す言葉に妻は笑いながら後を何も言わなかった。千葉さんも、気仙沼に行くとも行かないとも先ほどの返事が無かった。

「先生、吾妻鏡はまだ借りていて良いですか」。

   熊谷君が言う。

「私もその仲間に入れて、先生、拝見していいですか?」

「一向に構わない。どうぞ。吾妻鏡は頼朝の旗揚げから約八十年間の鎌倉幕府の出来事を日記体に記録している。もともと漢文で書かれているものを私達が分るように口語訳されているから理解しやすいし、歴史を知る面白味が一杯詰まっている。

  よくよく知られている源平合戦、(より)(とも)が弟の範頼(のりより)義経(よしつね)を活用すること、テレビドラマや映画、歌舞伎に出てくる義経の活躍と頼朝との関わり、奥州合戦の進軍から戦略、エピソード、葛西清重と千葉一族の活躍と鎌倉幕府における立場、それぞれの御家人達の活躍と動向、頼朝の征夷大将軍になる経過、政子(まさこ)と北条一族の権力掌握、頼朝亡き後の二代将軍頼家(よりいえ)と三代将軍(さね)(とも)にまつわるエピソード。四代将軍以降の京の都の公家と幕府の関係、北条による執権制度の始まりと相次ぐ将軍の追放、鎌倉幕府創設に貢献のあった御家人達が次々と謀叛の疑い等で失墜・滅亡していく栄枯盛衰が記録されている」。

「聞いていますと益々知りたいですね。早く読みたい」。

「あらあら、主人の病気に千葉さんまで感染しちゃダメよ」。

「歴史を知るのに男女の差は無いからね。是非読んで下さい。読んで、初めて知ることが沢山あるからね。例えば頼朝の死は暗殺ではないか、謎とされている」。

「えっ、マジすか?そうなんだ」。

 及川君が思わず驚きの声を発した。

「吾妻鏡はね、平家追討でも、頼朝と木曽(きそ)(よし)(なか)後白河(ごしらかわ)法皇(ほうおう)との間での思惑の違いと平家が都落ちする激動の寿(じゅ)(えい)二年、一一八三年と頼朝の最期(さいご)、謎の急死の時期の建久(けんきゅう)七、八、九年、一一九六年からの三年間と、君達が日本史で習った裁判の基準となる御成敗式目、それを制定した鎌倉幕府北條家の中興の祖と言われる北條(ほうじょう)(やす)(とき)、彼が死ぬ(にん)()三年、一二四二年の記録記述がないんだよ。抜けているんだ。外にも建長七年とか、(しょう)(げん)元年とかも記録が無い。凄く作為的なんだ。元々記録されていた物が、後で削除された感が強い。また吾妻鏡は結局未完成に終わったという学者がいる。私はその通り未完成だったと思っているけどね。

 私の友達がね。会社が出来て七十年。今その七十年社史編纂を総務課にいて担当させられていると言うんだ。過去に五十年史があるけどメモリアルとして七十年史を作ろうと会社でなったんだそうだ。

 編纂するに当たって五十年史を参考にしながらも、始めから十年まとめて、次ぎに十年まとめて、また十年まとめてというふうに、一つ一つの区切りの中で会社の前身が何だったのか、どういう理想を掲げて会社を設立したか、運営したか、十年の間の主力販売製品が何であったか、その頃の製品開発はどうだったか、工場移転や営業所の拡大・縮小、他社との業務提携、売り上げ等営業実績、研修、人事や福利厚生、組合対策など残されて居る会社関係の業務記録、日誌等を元にして、十年一区切り毎に原案を作ると言うんだ。その後で、会社の創業者、後継者、役員等の主立ったOB等から話を聞いて補足、添削していくと言うんだ。会社の運営が今も継続されて居る中での編纂としては、ごく普通の社史編纂の進め方だと思う。

 それと同じように挙兵から約百年近く成ったところで、あるいは百年経った所で、メモリアルとして百年史を作ろうとなったのが吾妻鏡ではないかと思う。

 吾妻鏡が、なぜ治承(じしょう)四年一一八〇年から文永(ぶんえい)三年一二六六年までの約八十年なのか、どうして記録記述が抜けているところがあるのか、それを考えたとき、ふと友達の実話を思い出して編纂原案の完成部分と作成中の未完成部分とがあって、完成部分に編纂首謀者の添削、推敲が入って意図的に削除された。北條執権時代継続の中での編纂作業だったので、北條一族にとって都合の悪いところが削除された。それが寿永二年と頼朝の最期に関わる建久の三年間、北條泰時が死んだ仁治三年だったのではないか。最後の方の約十年間で建長七年や正元元年など記録記述が四年も抜けているのは、まだ編纂途中だったからと私には思える。十分に考えられることだと思うよ。

 吾妻鏡が書かれた時期、その時の執筆者、まとめ役の中心人物は誰か、学説は今でも色々だ。それらによって、編纂の意図や、どこまで真実を伝えているかの見方は相当違ってくる。実際、吾妻鏡は今でも立派な研究材料とされている。

編纂首謀者が誰か、書かれている内容が事実か。私は興味が尽きないね。その時に大事になってくるのは、二階でも言ったけど、同じ時代に書かれた公家や女房の日記、お寺や神社に残る過去帳、寄進状などの記録物だ。吾妻鏡に誇張や虚構、曲筆が含まれていると学者や研究者達に指摘されているところもあるけど、それらが事実かどうか立証してくれる。