(サイカチ物語・第一章・ルーツ・22)

 

  千葉さんが岩手・宮城県郡割図に目を落としたままだ。その千葉さんが、黒川郡胤頼六男、名取・宮城郡胤道五男、亘理・伊具郡胤盛三男とあるけど、長男、次男、四男へはどうなっているのかと聞く。関心が千葉一族から離れられないらしい。私は改めて事務用ファイルから今度は四枚の郡割図を外して三人の前に置いた。現在の青森(別掲4「郡割図二」)、秋田(別掲5「郡割図三」)福島(別掲6「郡割図四」)山形(別掲7「郡割図五」)の各県地図に落とした郡割の図である。

「福島県の郡割図を見てごらん。図に記入してあるとおり常胤の二男は(もろ)(つね)、当初の名前は(もろ)(たね)。下総の相馬(そうま)御厨(みくりゃ)を父常胤から受け継いだことで相馬氏を名乗った。奥州合戦後は宇多郡(うだぐん)行方郡(なめかたぐん)辺りの所領と地頭職を賜わったらしく盛岡葛西系図に一一九〇年((けん)(きゅう)元年)奥州に数千町有すとある。相馬野馬追祭りで皆知っているとおり今の福島県相馬市辺り。この地の系図の祖は千葉師常だ。

   相馬御厨は今の茨城県の取手市(とりでし)守谷市(もりやし)と千葉県の流山市(ながれやまし)我孫子市(あびこし)の境辺りにあって伊勢神宮に寄進された荘園だ。つまり御厨というのは皇室や三重県の伊勢神宮、京都府の下鴨神社の領地を意味する。寄進した者が、その新宮の下司職として土地の名主に成り管理するし、決められた分の官物、年貢を貢納すれば後は自分の取り分になる。

   その土地は代々名主の子孫に受け継がれることになっていて、その権利は隣国等との戦があって敗れたとしても侵されることは無かった。要するに、不安定な在地の領主層が自分の地位を守るために土地を皇室や伊勢神宮等に寄進し、下司職の名主になって土地を事実上確保していく。支配者になるという構図だ。

   四男は千葉胤信、奥州合戦に父、常胤と一緒に東海道軍の一大将として参陣した。その功績から陸奥(むつの)(くに)好島庄(よしまのしょう)、現在の福島県いわき市平辺りを所領に貰った。彼はその前にも源平合戦等の功績から千葉郡大須賀村(おおすがむら)、今の千葉県の成田国際空港辺りから九十九里(くじゅうくり)浜周辺までの約五千余町、広大な土地を賜わったと記録されている。胤信はこの土地の名をもって大須賀胤信と吾妻鏡に登場している。