(サイカチ物語・第一章・ルーツ・15)
「新聞の発行は年一回だけど、予算は二回分の経費を充ててもいいのでしょうか?」。
想定されるページ増を考えての発言だろう。及川君はまだ自分が言いだしたことを心の中で静めることが出来ないのだろう、顔を上げているものの会話に加わってこない。熊谷君が発行の時期は卒業間近の二月末でも構わないかと聞き、過去の記録と今いる生徒の未来に向けた発信を内容として纏めようと及川君に言葉を掛けるように言った。及川君は下を向いたが千葉さんは首を縦にした。私は応えた。
「ページ数を増やして予算の二回分を一回で消費しても、また卒業間近い時期の発行になっても構わない、校長にはその旨伝えて了解をとる」。
その後、熊谷君が発言した「過去の記録と今いる生徒の未来に向けた発信」を中心に、どのように具体化していくか、スケジュール的な打ち合わせを含めて討議した。新聞の発行を卒業間近に固定すれば、逆算して何時の時期までに何をするか、記録の収集と編集や紙面の割り付け、レイアウトをどの時期にするか、三人の進路に掛かる試験日程と照らし合せながら年間スケジュールを組み立てられる。
大まかとは言え作業日程を並べ始めると及川君も自分が受験生であること、今、多くの時間を何処にどの時期に割くべきか現実的な理解を自分自身の中に呼び起こされたのだろう、討議の中に加わってきた。この三週間の何時間かの時間を受験勉強以外に目を向けさせてしまった。悔いの思いがあった私はホッとした。
「生徒の未来に向けた発信」をどのように具体化するかについて、生徒全員に卒業後の夢と目標を語らせるとか、夢と目標をタイムカプセルに押し込めるとか三人のアイデアや意見が出たが、もう少し時間をかけて、次回以降引き続き話し合う事になった。部活の日を原則週一、何があっても無くても水曜日の午後四時から五時の間、集まるという活動日時を前年度と同じにして散会された。熊谷君が及川君に一緒に帰ろうとかける声を、私は背中で聞いた。
職員室に戻ると、高橋先生が、よさこいソーラン部創設の提案が生徒から出されたと言って、先生はどう思うかと、そっと聞いてきた。彼女の席は私の左隣の並びだ。何時かテレビで見たあの踊りかと想像しながら、他の先生の意見を聞いたのか尋ねたら、まだ誰にも言っていないということだった。
「そもそも廃校一年前に部の新設は許されるのかしら」。
「生徒の提案の趣旨は?」。
「卒業を前にして男子も女子も一緒に何か共通のものをやった、成し遂げたという気持ちを持ちたいということなの。だから、合唱部の生徒だけでなく部を超えて声掛けをしたい、予算を考えれば補助金の出る部にしたいということなの」。
合唱部の有志の発案だけど合唱部の皆が賛成して、よさこいソーラン部をとなったのだという。同じ衣装に同じ小道具を持って同じ振り付けで踊れば人は皆仲間意識を持つ。連帯感がより生まれる。私はそこまで考え想像して、ふと、人間は原始の時代から少しも変わらないのかな、カリスマ的な巫女を前にして神に祈りを捧げる、神事が行われ民が回りで踊る。そこに連帯と希望を夢みて明日を生きる糧にする。そんな思いの錯覚が沸いた。
先生方は皆、生徒達がこれからの一年間をモチベーション高くポジテイブに学校生活を送る環境をつくろうと思っている。生徒の自由参加の保証と個人負担と部活予算の負担区分を明確にすれば、廃校一年前とは言え、よさこいソーラン部新設も反対するような提案ではない。しかも今年度の部活の予算配布案は四月二十五日の水曜日の職員会議で論議されることになっていた。私は高橋先生に、事前に教頭と校長に生徒の思いを説明し了解を取っておいた方がいいよ、とアドバイスした。