「吾妻鏡は鎌倉幕府の公式記録と言われ、個人の活躍の記録はない。ただ、頼朝が鎌倉に帰った後の平泉地方に飢饉の恐れがあったらしく、それを避ける為に頼朝が仙北地方や秋田郡から食料等を調達するよう清重に指示を出している。
その一方、頼朝は清重の母親の病気のことに触れて、特に心配するほどでも無いから帰国の思いあるべからず、良く国中を警護すべし、と手紙を書き送っている。
その暮れには大河兼任率いる藤原の残党に一時平泉の街を占拠されるという事件が発生した。清重は援軍を要請し、鎌倉から再度出陣してきた千葉介常胤、胤正親子、足利義兼等の支援を得てその乱を年が明けた三月までに鎮圧している。それらのことが吾妻鏡に書かれている。
その後に多賀城国府に留守職、今で言う行政庁の長官として伊沢家景が派遣されたとも吾妻鏡にある。国府多賀城の家景と平泉を基盤として軍事・警察権を有する清重とでこの地域に鎌倉幕府の勢力を浸透させていったんだね。ただ、葛西清重は鎌倉幕府の有力な御家人だからこの地域に長くは居なかった。一年くらい居たのか、鎌倉と行ったり来たりだった。移住していないとも伝えられている。それは吾妻鏡のその後の記録を見ても明らかだ。彼の御家人として頼朝に近侍している様子が記録されている」。
熊谷君の質問にそこまで答えると、四百年も続いた葛西一族を支え、しかも今日でもなおこの町と周辺に多く見られる千葉姓について私は二人に話したくなった。
「君たちの同級生に千葉姓が多くいるね」。
「えっ、あ、はい」。
急な私の言葉の振りに熊谷君が戸惑った。及川君が咄嗟に数えたらしい。
「クラスに六人、いや七人かな?」。
その数字が正しいかどうかは関係が無い。私は続けた。
「千葉介常胤、胤正が藤原の残党征伐のため再出陣して葛西清重の応援に来たと話したね。まさにこの親子一族の流れがこの藤沢町周辺に関係している。鎌倉幕府の執権北條一族の全盛期から衰退の方向にある一三〇〇年を前後にして、千葉介常胤の子孫、一族郎党が葛西清重の拝領した磐井郡、登米郡にかなり下向してきている。
葛西清重は元々千葉一族だ。清重は実は千葉介常胤の実弟である葛西重高の養子だ。養子になる前は武蔵国、秩父の豊島一族だ。祖先の数代前に遡ると、同一人物から武蔵国、今の埼玉県秩父の畠山・豊島一族と下総国、上総国、今の千葉県の千葉一族に分かれている。つまり葛西重高と豊島清重の養子縁組は武蔵と下総の隣国の従兄弟同士、親戚同士の養子縁組みだった。
葛西氏と千葉氏の関係が深いのはそれだけではない。葛西清重は、源頼朝の旗揚げから源平合戦や奥州合戦、鎌倉幕府創設に殆ど千葉介常胤一族と一緒に苦楽を共にしている。頼朝の命令とはいえ、大河兼任等藤原の残党征伐に千葉介常胤、胤正親子が駆けつけたのも、なるほどと理解出来る。
また清重から三代後の葛西氏本家を継いだ葛西清時は子に男子が無く、千葉介常胤から五代後の千葉氏本家を継いだ千葉頼胤の三男・胤信を家督養子に迎えている。頼胤の妻は清時の妹だ。つまり葛西清時は妹の子に葛西氏を継がしている。それらは葛西清重の拝領した土地にやがて千葉一族が下向してくる下地になった。岩手県南部から宮城県北部に千葉姓が多く残り、クラスに千葉姓が多く見られるのはそのためだよ。
長話になったね。この先を話すともっと話が長くなるので、この辺にしようか。最初の方に言ったように福島県の白河以北、奥州藤原の地は頼朝によって鎌倉武士、御家人に分配された。御家人は与えられた領地を地頭職として本人直接、若しくは縁者をもって管理した。新しい領地の地名を持って苗字とする者もいたが、大抵は鎌倉幕府の中で名乗っていた氏姓を新領地に持ち込んだ。自分達のルーツになった。そう整理すると分かりやすいかな。
この磐井地域には及川、小野寺、熊谷、佐々木、千葉、千田、畠山、三浦、伊藤の姓を名乗る世帯が多い。君たちのクラス仲間を見ても殆どの人がその姓のどれかに当たっている。私の岩城や佐藤、金野、阿部、由利は地方豪族の苗字で蝦夷地の流れ、平泉藤原文化に従属してきた苗字で鎌倉幕府の流れではないと言われている。
四百年続いた葛西一族がなぜ滅亡したのか、それはまた何かの機会に話そう。遊びに来ても良い」。
窓の外は暗くなり始めていた。腕時計をみると午後五時に近かった。部屋にいても窓辺の冷え込みが急におそってくる時刻だ。熊谷君がこの本借りて行って良いですかと言う。構わないけど読んでいるヒマないんじゃないかと言ったが、持って帰ると言う。横で及川君も首を縦に振っていた。二人で回し読みしますと言う。正直、私は受験を控えた彼らに余計に時間をつぶす機会を与えてしまったと、後悔の念が少し沸いた。一緒に階下に下りると妻が玄関口まで出てきた。
「帰るの?たいしたもの用意出来ないけど一緒に夕食でも食べて行ったらと思っていた んだけど・・・」。
「今度来たときに御馳走になります」。
及川君が応え、笑顔を見せた。
「寒いからここで上着を着なさい」。
妻が小さな上がり框で言う。
二人は、私が用意した紙袋に吾妻鏡五巻と別巻一冊を持って帰って行った。外は陽が山間に陰り始めていた。この時刻の家の周りはまだ冬の寒さだ。