「それで、葛西清重はこの藤沢町と何処を所領に貰ったのでしょうか?」。
熊谷君が冷静に聞いてきた。
「吾妻鏡には文治五年九月、つまり一一八九年九月(二十四日)の所に、頼朝達は厨川から平泉まで戻ったとある。そこで清重は此度の勲功抜群に付き検非違使の管領、つまり平泉郡内の人々の乱行取り締まり、今で言えば警察・司法権限を頼朝から与えられたとある。同時に胆沢、磐井、牡鹿等の郡下数カ所を拝領すと記録されている。
また、その前日辺りに(二日前の二十二日)、陸奥国の御家人の事、葛西清重が奉行すべしと頼朝から仰せ下さるとあり人事権も与えられている。外の歴史書は、藤原四代滅亡後の奥州初代総奉行葛西清重と記述している。このとき清重はまだ弱冠三十歳だ」。
「凄えな。カッコ良い」。
及川君の方がより反応した。
頼朝から賜わった所領の「胆沢、磐井、牡鹿等の郡下数カ所」とある数カ所については様々な説がある。律令国制度の中で江刺、胆沢、気仙、本吉、磐井の五郡に興田、黄海の二保とか、後世の資料で七郡とか八郡とか一定しない。岩手県史には胆沢、江刺、磐井、気仙、本吉、登米、桃生、牡鹿の八郡と書かれている。
「貰った土地は今の岩手県南部から宮城県北部だね。まさに当時の平泉文化の中心地を貰っている。牡鹿は北上川の河口の石巻を含む地域だ。当時、北上川を遡上して平泉に物資を運び人が行き交う、つまり交通・物流の要所である港が牡鹿にあった。
所領を牡鹿から平泉までの北上川流域で遡って考えると、牡鹿、桃生、登米、磐井、江刺、胆沢の六郡になる。登米、桃生郡を葛西領から外し、飛び地で牡鹿郡を与えたとする説もあるが、それでは人の往来や物流に支障をきたし葛西清重の功績を大きく認めた頼朝がそのような差配をするとは考えられない。
また、賜わった所領に気仙郡、今の陸前高田市や大船渡市、釜石市等と、本吉郡、今の気仙沼市や南三陸町を入れている葛西氏の戦記物や葛西氏関係の系図があるが、それらはみな江戸時代以降に書かれた物で確かではない。気仙郡は閉伊郡と一緒に佐々木行光の所領という説と、もともと気仙郡を支配していた金為俊という地方豪族が、頼朝の要請に応じて奥州合戦に従軍したので本領安堵、つまり気仙郡の地頭として認められたという説がある。
また、本吉郡は熊谷直実・直家親子の所領だという鎌倉時代の資料もある。その事を考えれば葛西清重に気仙郡や本吉郡も与えられたという説は採りにくい。それぞれの地は名前の出てくる人達に頼朝から分与された領地で、地頭職にあったとみるべきだと思う。また気仙郡も本吉郡も北上川の流域から外れてもいる。
ただ、佐々木行光は、閉伊頼基と名を変え、居住の中心を気仙郡から閉伊郡に移したとされている。また本吉郡に下向してきたのは、熊谷直実の孫の直宗からと言われている。気仙郡、本吉郡を葛西氏の所領とする関係で言えば、南北朝時代以降の時代の変遷の中で葛西氏が勢力を伸ばしてその地の人達をいずれ家来にしていった、後世に気仙郡や本吉郡を領地として拡大していったと見るべきではないのかな。
実際、葛西清重から数え七代目の葛西高清が、鎌倉幕府滅亡後の一三三六年(建武三年四月)に、当時、気仙・本吉両郡を支配していた本吉郡馬籠城主千葉平胤を打ち破り葛西領にしたと岩手県史やこの町の藤沢町史にある。
また桃生郡は長江義景が賜わったといわれているが、彼が賜わったのは桃生郡内にあった深谷保である。興田保、黄海保、深谷保などにみられる「保」というのは、国衙領と言われる公田、公地を特別に私有地管理して良いと認められた土地で、当時としては既に開発開墾されていた優良地と言うことになる。深谷保は義景の弟・長江義員が管理し、その養嗣子に葛西清重の三男・清員がなったという奈良坂系図が存在する。その系図が確かなものかどうかわからないが、葛西家の桃生郡支配が及んでいったと推測されるし、葛西一族の中の長江氏とも考えられる。
長江氏は丸に三つ柏の家紋で、葛西氏の三つ柏の家紋とほぼ同じ、同族であることを示している。長江氏は深谷庄の領主として約四百年も続いた。また葛西一族の本拠は、平泉から石巻に移った、最初から石巻だ、石巻から登米寺池に移したと、いろいろな説がある。それが鎌倉時代なのか南北朝時代の事なのか、室町時代なのか現代でも確かな事が知られていない。ただ鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代や室町時代に葛西一族が近辺に支配する領地を拡大していったことは歴史的事実である。
いずれにしてもこの藤沢町は葛西清重の所領だね。一一八九年九月(二八日)に頼朝が中尊寺、毛越寺、無量光院、達谷窟を見物して奥州から去った後も、葛西清重は平泉総奉行として残り滞在した。焦土と化した平泉の復興と治安の維持に努めている」。
思いもしなかった歴史話に戸惑ったのか、感心したのか、熊谷君の目が光っている。
「先生、頼朝達が帰った後の葛西清重の活躍というか、平定ぶりも吾妻鏡に書かれているのでしょうか?」。
熊谷君の質問に答えることにした。