三

   春休み中の三月初旬、及川(おいかわ)君と熊谷(くまがい)君が私の家を訪ねてきた。二人は一年生のときから新聞部に属し私と二年間向かい合ってきたが、私の家を訪ねてきたのは初めてだった。何か特別な理由があって来たのだろうと迎え入れた。

   私の家は藤沢の町並から八百メートル程外れ、町営住宅供給公社が開発販売した新興住宅地の中にある。周りは畑と田んぼが広がっている。生家は下町(しもまち)というバス停から七、八軒離れた町外れの所にあり、家を継いで農業に従事する兄夫婦が年老いた母の面倒を見ている。父は既に鬼籍に入っている。

 私は、生まれ故郷ということと定年後の定住の地を決めておきたいと思って、十年前、五十歳になったときに今の土地を買い、家を建てた。この十年の間にも外の学校の地に単身赴任することもあった。しかし、祝日を挟んだ三連休のときや生徒の長期休みの合間に帰る自分の持ち家があるのは生活の上で励みになった。

   子供は娘が二人居たが、新しい家に家族揃っての喜びもつかの間、三年とたたず二人は好きな人が出来て嫁いでいった。二人が小さくて熱が高いと救急病院を探し回ったとき、海や山や動物園や水族館に連れて行ったとき、親の転勤に合わせて転校させざるを得なかったとき、反抗期に手を焼いた中学・高校生のとき、大学の進学校選択に長女とケンカ腰になったとき、家族で温泉に行ったとき、その時々を今もふと思うことがある。二人の結婚が七、八年も前のことなのに、子の巣立ちは親として寂しいものだと世間並みの感傷がまだある。

   今は、五年前に早期に小学校教諭を退職した専業主婦の妻と二人だけだ。せっかく娘二人にあてがった二つの部屋は空き部屋になった。その一つ、長女が使っていた南西の六畳の洋間を今は私の専用の部屋にしている。階段を上って一番手前にある。入り口のドアを開けると右横に据え付けのクローゼットがあり学校に出かけるときの背広やYシャツを収納している。左側の壁にそって手前に本棚を置き、その奥に自分が元から使用していた机と娘が置いて行った机を並べている。その時々の気分によって、どちらかをパソコン台としていた。西側の壁は真ん中に出窓があり、その左右に本棚を置いている。南側は一間幅の掃き出し窓でベランダに続く。開けた窓からは、視界を遮る家もなく田畑が広がり近くにも遠くにも山々が見える。

   隣の真ん中の部屋は二女が使っていた六畳の洋間で今は空き部屋だ。娘が残していった本や衣類がまだそのままだ。その先が十畳の和室で妻との寝室になっている。私の着替えの下着類は今も寝室に置いてある。寝室の隣であ、り廊下の突き当たりに四畳半の洋間がある。娘二人が家に居た頃はその部屋が私専用だった。今は私の部屋に収納しきれない本棚を置いているが、それを片隅に追いやって妻が鏡台を置き衣装部屋にもしている。

   及川君と熊谷君が不意に訪ねて来た時は二階の私の部屋に案内した。本棚と机と椅子が二組もある六畳の部屋に私より背の高い二人が入ると、男三人立ったままでも部屋が途端に狭く感じた。小さな折りたたみのテーブルを真ん中に出して座ろうとして座布団が要ると気づいた。ちょっと待っててねと言って一階のリビングに行き、座布団を三枚持ってきた。私の奨めるままに彼らがテーブルの回りに座ると、座ったまま本棚に手が届く。暖房エアコンの電源を入れた。

  妻が暖めたリンゴジュースを入れたグラスを三つ持ってきた。お盆に乗せたままテーブルの上に置いて、ユックリしていってねと言葉をかけた。二人はありがとうございますと言い、妻は出て行った。私がどうぞと言うと、二人ともグラスを手にした。

「よく来たね。すぐ分った?」。

声をかけて、二人の訪問の趣旨を聞く糸口にした。

「はい、徳田の新興住宅地と聞いていましたから場所は分かるし、後は表札を見れば先生の家が分かるだろうと見当をつけて来ました」。

徳田というのはこの周辺の住所地であり、昭和の初め頃まで徳田郷という村が有った所だ。

「先生、今日は四月以降の部活をどうしようかと思って二人で相談にきました」。

今度は及川君だった。二人とも学業成績が優秀で校内での成績は勿論、全国版の雑誌社主催の統一模擬試験を受けても好成績を残していた。熊谷君は岩手大学の医学部志望で及川君はW大学の政経学部を目指している。私は去年二人のクラス担任ではなかったが、部活の合間に本人達の口から進学志望校を直接聞いていた。

  部活をどうしようかという言葉は私には二つの解釈が出来た。一つは部を辞める、もう一つはまだ早いが部活の一年間の目標を立てる、の二つである。二人は一瞬口ごもり躊躇する仕草を見せた。

「二人とも新聞部を辞めたいのです」。

及川君が意を決したように言った。その選択枝は私が考えてもあり得ることだ。二人の進学志望校と学部は決して簡単に入れるところではない。二人にとってこれからの一年間は受験勉強中心にならざるを得ないだろう。受験の失敗で浪人生活をするようになれば一年という時間を更に受験勉強のために取られる。それだけでなく、その間の経済的負担の支えや家族の支えも必要とされる。