二
お早うございます。坂道を上る途中、久しぶりに会う生徒の声は元気だ。お早うと応じる。登校時刻にはまだ早い時間だが、新学期が始まる高揚感が生徒の登校を早めさせるのだろう。上るスピードは負けていないつもりでも、私を追い越す身のこなしや素軽さは彼らにはかなわない。薄曇りで肌寒い風が吹く朝だ。
一週間前の春めいた陽気から一変してここ数日は寒い日が続いている。例年、入学式を迎えるこの時期は冬と春の日が入り交じる。私は冬物のコートにマフラーと手袋をまだ放せずにいるが、声をかける生徒達はコート姿が少なく、首に巻いたマフラーと手袋だけの恰好が多かった。中にはマフラーだけの男子生徒も女子生徒も見られる。
ヘルメットを小脇に抱えている生徒はさすがにジャンパー姿や腰まであるアノラック姿だ。手袋は鞄の中だろう。自転車やオートバイで通学してくる生徒である。駐輪場は校舎から約二百三十メートルも下だ。坂道が始まる町役場の空き地の片隅にある。町から場所を借りて設けられたもので生徒も先生も利用している。
入学式は昨年度に引き続き無い。前日までに授業開始に必要な教材等の準備を終えた。外の先生方も同じだろう。始業式の有る日はいつも朝の職員会議が予定されている。久しぶりに会うのは生徒ばかりでは無い。今日が校長以下この学校に勤める教諭と事務室職員の全員が揃う年度初めの日である。
専任教諭の数は昨年度からまた二人減って八人になった。それでも一学年分の担任教諭の減少で済んだのは県教育委員会関係者の理解があったからと思いたい。一時、千厩高校と掛け持ちで人事配置がされると噂された音楽と体育の教諭だったが、それは無かった。全生徒が三十八名しか居なくても音楽だって体育だって必須履修教科だ。専任教諭が身近に確保されていることがより良い授業の確保のために大事なのは言うまでもない。
世界史と理科、情報の担当教諭は昨年に引き続き千厩高校との兼務だ。それらの教諭が在籍するのは千厩高校である。春休みの間に二校の校長、教頭間で時間割調整をしたはずで、兼務のかかった各教諭は決まった本校の時間割表に合わせて出張してくる。朝から出張して来る時もあれば午後から来る時もある。
専任教諭は英語が細川、数学が富沢、国語が私、歴史の日本史が教頭の氏家、農業が金野、体育が工藤、音楽が高橋の各先生である。星校長は社会が担当だが、昨年に続きオールマイテイで活躍して貰うしかない。といっても、英語とか数学を担当出来るはずもなかった。専任教諭が休暇等になれば自習時間に切り替えてその時間を管理するのである。
教諭は教諭で大変だ。仮に国語担当の私が体調悪く休暇を取りたいとしても代わりがいない。長期休養にならない限り代理教諭は派遣もされない。三学年のみであり、どの教科担当も一名配置となって同じ境遇にある。中でも大変なのは金野先生だろう。
本校の特色は農業科にある。千厩高校の藤沢分校として開校した昭和二十三年はこの町と周辺は全くの農村地帯であり定時制の農業科でスタートしている。二年後の昭和二十五年に藤沢高等学校として独立し農業科に普通科が加わって昭和二十六年に全日制に移行していた。農業科は農業・畜産・園芸にかかる実技主体の授業である。一学年定員四十名を充足していた頃は農業科の教諭が六人配置されていたと聞くが、その面影はない。今は金野先生だけでは足りないところで非常勤講師を置いている。
金野先生に不都合があったら自習で校長先生の時間管理というわけにはいかない。校長先生もお手上げになる。近隣の高校に農業科は無く、他校に教諭の派遣を頼ることも出来ない。それを補うためこの十数年は県教育委員会を通じて地元の農協に人選を依頼し非常勤講師を雇っていた。それが皆川先生である。皆川先生は原則毎週火、木曜日丸一日勤務することになっている。今日は金曜日でも始業式に参加するため出勤している。