第一章 ルーツ
一
空は澄み切った晴天である。外気に肌寒さが残るが青々とした広がりに思いっきり空気を吸い込んだ。所々に薄い白雲が冬を惜しむかのように浮いている。町役場を左に見て坂道を上って百メートル程になる。振り返って見上げた空は気持ち良かった。後一年か、と心の中でつぶやいた。
三年間歩き続けたこの坂道はどこにどのような石があるかまで知り尽くした。坂道の両側は雨が降ったときの水を逃す側溝だ。この辺りまで上ると町並の屋根々々を眼下に見下ろせる。町並の後ろに館山と名の付く標高二百十八メートルの山が町全体を包み込むようにしている。その山肌の所々にある段々畑はまだ土色で、山頂の杉木立の塊が殊更に黒ずんで見える。山の右端は町並みの屋根を外れ青空に続き、室根山が遠くに見える。左端にはお寺の屋根が見え隠れする林の間に遙か遠く北上山系の山並が見える。息が上がって一息ついたわけではない。私はこの辺りから見る町の景色が一番好きだ。生まれ育った町が一望のもとに見える。
左右に畑と干害用の溜め池があり、家屋が途切れ途切れになった坂道をまた百メートル上ると、右手に幅が百メートル、奥行きが百五十メートルはある運動場が広がる。その運動場を右下に巻くようにまた五十メートル程桜並木の坂道を上ると校舎に辿り着く。山の頂上に近い。町の人々は愛宕山の高校と慕い呼んでいるが、正式の校名は岩手県立藤沢高等学校だ。
春休みの最中で生徒はいない。職員入口の履物がむき出しに見える下駄箱にかかとの低い黒色のパンプス一足と革靴が六足、スニーカーが一足、八人分の靴があった。
上履きのズックに履き替えて職員室を覗くと、日本史を担当している氏家教頭と数学担当の富沢先生、英語担当の細川先生、農業担当の金野先生がいた。富沢先生は机に向かっていたが、教頭と細川、金野の各先生は職員室の真ん中に据えられた金柵のある石油ストーブを囲んでいた。雑談をしていたらしいが、お早うございますと挨拶すると一瞬声が途切れ、三人の挨拶する声が殆ど同時に返ってきた。私を入れて今日は五人の先生の出勤なのかと思いながら、壁側にあるハンガーラックにコートとマフラーを架けた。
手にしてきた鞄を自分の机の上に置いて、職員室から中で続く隣の事務室を覗いた。出入り口の横壁に職員の名札が並ぶ。自分の名札をひっくり返して出勤を表示すると、事務室長の熊谷さんが机を前にして座ったまま挨拶の声をかけてきた。そして、新学期から使用する出席簿を確認して欲しいと言う。
私が普通科のクラス担任になることは内示を受けて既に決定している。A四判の半紙に印刷された生徒名簿一覧表とA三判大の出席簿を渡された。出席簿は昔ながらのものだ。一行目に生徒の個人名が書かれ、二行目からのマス目の最上段に右から左横に四月から三月までの月と縦には日付を表わす一から三一までの数字の入った厚紙を挟み込んである。
アナログの出席簿の黒表紙には事務室長得意の筆で「三年普通科 出席簿」と白墨汁で書かれてある。
経理担当の佐藤さんにも必要とする教材等で急ぎ購入する物があるかと問われ、特に無いと応えて自分の席に戻った。追いかけるように朝倉さんがお茶を淹れて持ってきた。今日は、彼女は休みだったのではと思いながら聞かなかった。ありがとうと言った。事務室で彼女の姿を見なかったが、給湯室にでも立っていたのだろう。下駄箱で見たパンプスは彼女の物だった。
教諭は夏休みに冬休み春休みと休みが多くて良いね。会社勤めの友達や小、中学校時代のクラス会などで久しぶりに会う友に、問われるまま高校の教諭をしていると言うと決まってそう言われる。しかし、そうではない。教諭は生徒が夏冬の休み春休みであっても、その間も普通のサラリーマンと同様に出勤日であり仕事をしている。
生徒の長期休みの間は次の学期に備えて教材や試験問題を作り揃え、また学習指導要領に従って行う家庭訪問に数日を取られる。農林業に従事する世帯と半農半勤の世帯が多い土地柄である。共稼ぎが当たり前の父兄と訪問日を事前に連絡調整するだけでも勤務時間外に及んだりする。運動会や文化祭などの行事に必要な小道具等を点検・準備もする。海や山・プールなど季節の課外授業に付き添う事もある。修学旅行の下見に出かけ旅館等と注意事項の打ち合わせや予算調整もする。また生徒の進路指導や就職指導に役立てるために大学や専門学校、ハローワークや求人企業等との接触交流も必要とされるし、それで出張することも多い。勿論、担当する部活に顔を出す日も多い。つまり、生徒の長期休みの間に行う教諭の業務の範囲は広範に及び種々雑多なのだ。