自分の父が由利さんに米作(こめづぐ)りの諸々(もろもろ)のトラブルの解決を(おす)える立場だったど(かだ)った。

「奥様を亡くした由利さんとの縁談話が有った時に、むしろ両親と七、八しか違わない年齢(とし)に、正直、抵抗が有りました。けど改めでお会いす(し)てみで穏やがな人柄ど今も情熱をもって米作(こめづぐ)りを語る由利さんに惹がれで結婚を真剣(すんけん)に考えるようになります(し)た」。

見回すと皆がニコニコして聞いている。そして、彼女は言った。

「米作り農家の出だから農作業の厳しさも辛さも知っているつもりだけど、(はた)で見ているのと違って実際に従事してみないと分からないことばかり。毎日が新しい発見と筋肉痛です」

少しばかりの笑いが生ず(じ)た。

「一度、農道を走る耕運機を運転させてもらいましたけど、あの座席から見えた田んぼの広がる視界はこれからの自分の人生なのだと青々とした水田を想像して新しい夢を持ちました。今、田植えの終わった水田はその通りに青々とした景色を見せています。夢の実現に向かって走り出したばかりです。由利ともども残されたこれからの人生に皆様のご指導、ご支援をお願いします」。

(かだ)り、()めだ。及川さんがすかさず言った。

「そうだ、朴訥だけど人柄は良いべ(ぞ)。田舎生活も良いべ(ぞ)。米作(こめづぐ)りにもまだまだ夢がある、野菜(づぐ)りだって酪農だって良いべ(ぞ)。第一、定年が無ャ(無い)」。

最後の一言(ひとごど)に皆が笑った。彼女の標準語(ひょうずんご)の挨拶を聞ぎながら、皆六、七十(歳)になん(る)のにどの顔も自信(ずすん)に満ちでいるように(おら)には見えだ。

  和やかな雑談が続いた。千葉さんが立って(おら)の側に来たがど思うど、自分(ずぶん)で焼酎のお湯割りを作り出す(し)た。(おら)が作るど言うど、先輩にそんなごど頼めねャ(ない)ど言う。向がいの八重樫さんが座ったまま(おら)も焼酎にすんべ(する)と言う。コップに梅干す(し)を先に入れだ。間もなく畠山さんがまだ立って言った。

「ここで、佐々木先生がらこれからの日本の農業、米作(こめづぐ)りを中心(つうすん)によもやま話を聞かせでいただきたいと思います」。

  皆の酔いが回らないうず(ち)に、場が和みすぎないうず(ち)にと思ったらす(し)い。(おら)の気の利かない進行役(すんこうやく)より良え(良い)判断だべ(だろう)。先生のセミナーの(はず)まりだった。

              六 夜話三 その二

(おら)に、(おら)(はなす)コしてけろ(下さい)って(一関の)千葉さんがら事前に(はなす)が有った折角の楽す(し)い時間(ずかん)なのに申し訳ねャ(ない)ね。今日は短い時間(ずかん)に、少す(し)は皆さんの将来の参考になるような(はなす)コさせてもらうべ(もらいましょう)。

   皆が思っているように農家にとって今一番の問題は人手不足、後継者問題だ。戦時中の産めよ増やせよの時代(ずだい)(つが)って戦後の価値観の違いど教育費がかかり過ぎで何人も子供を持でる時代(ずだい)では無ぐなった。金の卵と囃す(し)立てられで俺達(おらだづ)の若い頃の農家の次男三男、次女三女が都会に行ったごどは皆も()ってる(いる)通りだ。すかす(しかし)その(あど)少子化(しょうすか)が進んだ上に若者(わがもの)が教育、文化、ファッション等の発信地(はっすんつ)である都会に(あごが)れで田舎(いなが)がら出で行った。吉幾三の、俺、こんな村嫌だ、だったべ(ね)」。

皆の笑いが少す(し)漏れだ。