「はい、気をづげでん(る)の。ちょっとす(し)たごどでもお(たげャ)に嫌な思いをす(し)ないように割り切って物事を決めでんの。毎日(まいにず)の御飯作るにも嫁ゴど話すあって月水金が嫁の担当、火木土は(おら)日曜日(にずようび)はお(たげャ)の予定が何があるが無ャ(無い)がで話す(し)合って決めでいる。

厨房に女二人が一緒に立つものでは無ャ(無い)よ。調味料の置き場が変わって居だり、調理鍋、器具がいづもの所に()ャ(無い)だけで、有れっ?と思うべ(でしょう)、そこは違うべ(違うでしょう)、何で片付げが出来ねャ(ない)んだど、たったそれだけでも嫌な気持づ(ち)が生まれるす(し)、きづい言葉を相手(あいで)に吐くようになるべ(よ)。ん(そう)だから(さぎ)に決められるものは決めでおいで、お互いに片目をつむんべ(つむりましょ)って嫁ゴど話す(し)合います(し)たよ」。

(おら)()の所はどうだべ。思わず女房に息子の嫁が一緒に台所に立っている光景を思い浮かべた。(たす)かに言われれば、何がどうす(し)たが分がんねャ(分からない)げど不満そうな顔をす(し)た嫁が黙ってその場を離れだどご(ところ)を何度が見でいる。勿論(もずろん)(おら)は口を出さねャ(ない)。傍に居だ息子に口を出さねャ(ない)方が()え(良い)と言ったごどもある。料理の事だけでは()ャべ(無い)。何時(いつ)か子育てのごどでも嫁姑でもめだごどもあっぺ(ある)。子育ては息子夫婦に任せで置ぐのが当たり前だげど、それでも孫娘が自分の母ちゃんより先に俺の女房に結婚の相談をす(し)たのだ。親子でもながなが言えないごどもあっぺす(あるだろうし)、年の功も有るべ。聞いでで(聞いていて)そんなごどを思った。

「千葉さん(どご)(の(ところ))は孫娘が今度結婚するって(すると)言っていたべ(でしょう)。(すぎ)何時(いづ)だべ(なの)?相手(あいで)(おどご)は何処の人だべ、この(あだ)りの人?」。

及川さんの(はなす(し))コが俺に向いた。

(すぎ)は六月二十七(にじゅうすず)(にづ)、大安の日だ。孫に婿養子(むごようす)を取る、相手(あいで)は・・」。

「都会に憧れる娘、(おどご)が多いがら嫁っコ探すのも貰うのも、婿養子(むごようす)を取ん(る)のも大変な時代(ずだい)だもんね」。

奥さんが間に(くづ)を入れだ。

「米作りをす(し)たごどのある(おどご)だいが(でしょうか)?」。

「米(づぐ)りは目の前で手伝ってもらって居だがら、俺も指導す(し)ていだがら間違(まづが)いねャ(ない)」

「それは()がったね。千葉さんの目だ。孫娘さんが選んだ人だべ。間違(まづが)いなかんべ(ないでしょう)」。

(おら)に息子に孫娘の三代(さんでャ)の夫婦が一緒になる。若いのには窮屈で狭かんべ。気を遣うべ(でしょう)。息子が娘のために今の家の隣の空き()(あだら)す(し)い家コを造んだど。建設業者と話コを進めでる」。

(みんな)同ず(じ)ようなもんだな。(おら)も息子のために何年か(めャ)に隣に家を建てだ。息子の(でャ)になったんだがら盆暮れの料理作りにもしゃしゃり出る幕でもねャす(ないし)な。俺達(おらだづ)年齢(とす(し))になっ(る)どお茶こ飲みに隣近所の人と(あづ)まっても、祭りの準備に(あづ)まった(あど)も、仲間(ながま)同士(どうす)の寄り合いに出でも、何がど言うど決まって何処が悪いどが、病院通いがどうの、薬がどうのど自分(ずぶん)の身体のごどの(はなす)ばかりだ」。

そう言って畠山さんがお茶を(くづ)にす(し)た。(おら)が言った。

「ん(そう)だな。(おら)も血圧を抑える薬を貰っているす(し)、酒コを少し控えろって医者の(はなす)だ」。

「去年一年(いずねん)(おら)はこごに来ながったけど一昨年(おとどす)十一月(じゅういづがづ)に大腸がんで手術す(し)た。早期発見の方に入るどいう医者の(はなす)だったげど腫瘍が少す(し)大きいとかで腹を切ったべ。大腸の癌なのに切った(あど)を見だら臍から上の方を切ってんだ(切ってる)。その腹の右横に穴の後も(のご)っている。一年(いずねん)と二、三ヵ月になるべ。今年の三月に飲み薬だけは無ぐなった。ん(そう)だげど、まだ三か月毎に検査が入ってる」。

(はなす)を聞ぎながら風呂場で見だ畠山さんの腹を思い出す(し)てみだ。臍の下の立派な一物は見だ。んだげど腹の傷跡(きずあど)が思い浮かばなかった。気づかなかった。去年一年(いずねん)、顔を合わせでいながったがな?そんなに会っていなかったべが?ど思った。