客室の廊下側の出入り口から共同炊事場に入るど、すぐ側の所に置かれであるガスコンロで畠山さんが魚を焼いでいだ。アユの香りがほんのりどする。その横で八重樫さんは御飯が炊けん(る)のを待っていだ。二人ともこの湯治場の常連だ。なず(じ)みの顔だ。
「久す(し)ぶりだ、元気だったべが」。
畠山さんが言い、俺が返事をする前に八重樫さんだ。
「味噌汁を作ったけど小分けすんべが(しようか)。一人分と分がっていで作っても出来上がるど、やっぱす(り)量が多い」。
微笑んでいた。火の消えたガスコンロに小鍋が掛けられである。その横のもう一つのガスコンロは上には何もなくて何年来のすすで黒々とす(し)ていた。ガスを送る青い管だけが目立っている。
「お陰様で丈夫だ。まだこうす(し)て会えん(る)のも、お互いが息災がどうが分がって良え(良い)もんだねャ(な)。これから鍋を作んだ(作る)。味噌味にすんべ(する)ど用意す(し)てきた。有難う」。
八重樫さんのご好意をお断りす(し)た。
シンクの方に回ると、何処の誰だが分からないご婦人がひとりニンジン、ゴボウを洗っていだ。化粧っ気のない顔は日焼けすで(して)いだ。六十前後だべ(だろう)ど思う。調理スペースにビニール袋に入れで持って来た野菜類を並べるど、八重樫さんが後ろから来て覗き込んで、量が多すぎねャ(ない)がと言う。三人分だと応えた。
「女房孝行、奥さんと誰が一緒に来たべが?(来たのか)」。
「いや、女房は用事があって今回は来てねャ(来ていない)。佐々木さんご夫婦と一緒に鍋を囲むごどにすた(した)んだ、校長先生す(し)ていで定年になって本格的に農業を継いだ佐々木さん。知っていんべが(いるでしょうか)?」
「知らない人は居ないべよ。岩谷堂高校の校長だったって人だべ、奥州市の?。その歳で農業継いだなんて大す(し)たもんだよ。確か息子さんは一人いん(る)げど東京だがどっか(どこか)に行っていで後継ぎがいねャって言っていだ。ニ、三年前の秋になっ(る)かな、ご先祖様に申す(し)訳ねャ(ない)げど農業は俺の代で終わりだって言って居だ。ん(それ)だども、今年も作付だけはすたんだいが(したのだろうか)?」。
横から畠山さんだった。
「聞いでみねャど(みないと)分がんねャ(分からない)げども、この時期に来たどご(ところ)を見っ(る)と、骨休めだべ。田も畑も終わってがら来だと思う。後で聞いてみっぺ(みる)」
御飯が炊けたのだろう、八重樫さんが離れると俺は野菜等を洗おうとシンクに寄った。大きなシンクにはガスコンロの数と揃えだのがどうが分がんない(分からない)げど、蛇口が四つある。ご婦人は私と位置を交代す(し)て調理スペース(台)に回り、ゴボウとニンジンを笹掻きにす(し)始めだ。きんぴらを作るらす(し)い。横顔を見直す(し)てもやっぱりどこの誰だか分らながった。