ポシエットを腹に巻き付げで部屋を出て鍵を閉めでいだら、横合いから、こんつわ(こんにちわ)と声がかがった。声の方に振り向くど佐々木先生ご夫婦だった。二人ともニコニコす(し)ながら、ちょこっとばかり頭を下にす(し)た。
「顔を見られるのは元気な証拠。奥さんは?、来た?」
「はい、女房もお陰様で元気でがす。んだども(けれども)今回は用事があって俺一人だ」。
またそろって黙って頷いだ。この湯治場を利用するのも人生においでも俺より先輩だ。二人ども八十は超えでいる。一緒に歩ぎながら、買い物?、と聞ぐど、
「ん(そう)だ、魚が食いでャ(食いたい)と女房と話す(し)で居だ」。
日曜日の夕方に来たど自分がら言っていだから今日で四日目だなど思いながら聞いた。
「何時まで泊まんだべ?(泊るのでしょうか)」。
「なに、子供も居ねャす(居ないし)、犬猫、生き物も飼っていねャ(いない)がら何時もの通り、三週間」
以前に聞いだ時、この湯治場を知り、利用するようになって三十年。学校の先生をす(し)ていだ時の五十代の頃から近辺の川釣りに来て利用するようになり、そん(の)時は独りだったげど、定年になって農業に就いでがら女房も一緒に来るようになった。それでも二十年にはなるど言っていだ。農閑期になる今の時期と収穫を終えだ頃の秋の三週間と、いづの間にか寒い二月一杯もこの旅館を利用するようになったど言っていだ。
この湯治場の大先輩だど言うだけでなぐ、農業については俺の方がはるかに先輩なのに、何時す(し)か俺も女房もここに寄れば農業のコツと言うか、田畑の事さえも先生に聞ぐようになっている。部屋に招がれで先生の歩いできだ人生のよもやま話を聞かせでいただいだ時も有っ(る)けど、それよりも俺が驚くほど今の世の中のごど、これから先の農業の事を語る話に何時も教えられるごどが多い。
連れ立って玄関口に回った。
「まだ来てねャ(ない)。座らえん(座って下さい)」
女将が大型テレビと大きな丸テーブルの前のソファーに誘った。反対側になるフロントでは目の会った旦那がニコッとす(し)た。ロビーと言うほどではねャ(ない)、座る所(ところ)がせいぜい十五人ほどだ。立って移動販売車を待っている人も居る。コロナコロナでマスクをす(し)ている人も居るが、注意す(て)と言われでいる蜜の状態にあるのは間違い無ャがった。(無かった)。女将さんが、先生ご夫婦をソファーに誘導す(し)た。若いと言っても六十過ぎだべ(だろう)、男二人が空いているのに席を譲った。
「ありがとう、済まねャーな(済まないな)」