横がらもう一人が、もう湯船に入って銀河高原ビールを飲んで、昼食(つうしょぐ)に稲庭うどんを食べで、この時間(ずかん)まで待っていたのだと言う。小麦の地ビールはさっぱりす(し)ていで美味す(し)かったと言う。見た顔の色は日焼けだけではなさそうだ。

「旅行会社の人は、湯川温泉は昔からの湯治場で入り口の何だかと、中の湯と、奥の湯があるって言ってました。私達は旅行会社の人の勧めるところを選びました。周りは何もないけど山間(やまあい)の新緑の綺麗なところ、静かで温泉の質が良いと聞いてきました。一泊では忙しいから二泊します」。

それを聞いで同輩が、少しばかり自慢げに話した。

「この(あだ)りは東北でも有数の温泉郷だ。温泉と名の付くどご(ところ)は一杯(いっぺャ)有る、明治(めいず)時代(ずだい)の有名な俳人正岡子規(すき)が泊まった湯本温泉に湯川、大沓(おおくつ)()(ごう)(やく)(せん)観音(かんのん)温泉、()賀来(がこ)温泉、それに日帰り温泉を入れだらなんぼあんべ(幾ら有るだろう)、何時でも来てけらいん(来て下さい)、春でも夏でも秋でも冬でも良いべ。釣りコもバードウオッチングも、川遊びも山歩きも出来っぺ(出来る)。雪コも一杯(いっぺャ)降る。スキーも雪見酒も出来っぺ、自然と触れ合あうのに良いどご(ところ)だ」。

そしてその後の説明に(おら)も驚がされだ。

「湯本温泉に句碑公園があるす(し)、(おら)も前に何度が(あす)を運んだごどが有る。公園の(いす)に刻まれだ子規の「山の温泉()や 裸の上の 天の河」は俺の好きな句だ。俳句は好きだべが(好きですか)?」。

「奥の細道、松尾芭蕉ね。この辺りにも芭蕉が来たのかしら?」。

三人の真ん中にいるご婦人が応えた。薄手の青いシャツを着ていた。

「んでャねャ(そうではない)、正岡子規(すき)だ。明治(めいず)の中頃にこの湯田に正岡子規が来た。秋田から山越えで湯田に来たべ(よ)。湯本温泉に投宿す(し)てその時に詠んだ句が湯本温泉の句碑公園の石碑にあんべ(石碑になってる)。二泊すん(る)なら子規の句碑巡りも良いべ。湯田駅の前にも、湯本から秋田に抜ける下前地区にも石碑がある。句碑公園に有る「肌寒み ()ぬよすがらや 温泉()の臭ひ」や、「山の温泉()や 裸の上の 天の河」、は山の中の温泉宿を良く表す(し)ているべ。「白露に家四五軒の 小村かな」に旅情と詫び寂びが溢れでいる。子規の「はて知らずの記」っう句集に収めらでっぺ。子規の有名な句と言えば「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」だども、子規が東京の根岸にある子規庵で母と妹がら寝たきりの看護を受けながら、「いくたびも 雪の深さを 尋ねけり」、と詠った句がある。寝床に有る子規が庭に雪が降ったことを子供のように喜んではしゃいでいる様子が窺えるど解釈する人が多いけんど、(おら)は秋田岩手の旅情、旅枕の雪の温泉宿を思い浮かべていながら目の前の雪の状況を聞く子規が思い浮かぶん(の)だ。