それぞれが、警察が来た、刑事が来たと言い、寅次夫婦の仲はどうだったかと睡眠薬のことを聞かれたと興奮した面持ちで言う。誰もが声のトーンが上がっていた。だけどそれ以外のことになると警察のことはみな憶測の話になった。皆が口を揃えたのは、本当に事件なのか?と言うことだった。そんなことあり得ないと皆の意見が一致した。そして、万が一の先のことに考えが行った。
俺達にできるのは情状酌量というの?そのための署名集めと、必要なら裁判所に出かけても、良く寅次の面倒を見ていた、介護をしていたと証言するだけだとなった。それで一段落付くと昼間と同じように奥さんの長年の介護話だった。誰も悪くは言わない。むしろ寅次の世話をしながら僅かばかりの畑を耕し、収穫した野菜を分けて呉れる奥さんの日頃の行いだった。畑を持っていない娘と二人暮らしのはす向かいの親父は、何時も娘の所にジャガイモが出来た、玉ねぎだ、キュウリだ、ナスだ、トマトだと出来た野菜を食べきれないほど届けて呉れたと語る。俺も貰った俺も貰ったと、貰った野菜が何かを言いながら誉め言葉が続いた。八時ちょっと過ぎに解散した。普段はお風呂に入って床に就いた時刻だったかも知れない。年寄りばかりだ、九時前には寝ているよと日頃皆から聞いていた。
一人になると、嘘みたいに静かだ。風呂が沸くにはニ十分はかかるだろう。タンクに注入しながら風呂を沸かす灯油の減りが夏場よりも早くなったなと思う。これも明るいうちにして置かないと危ない。鈴虫だろう、近くで鳴く虫の音が聞こえる。家の中に戻ると、何時もの中座敷の箪笥から着替えの下着を用意した。居間に戻って薬箱から今日の分のシップ薬、貼り薬を引っ張り出した。アッと思った。
不眠症と処方された眠り薬。その眠り薬を長年に渡ってため込んでいたら、貰った眠り薬を寅次にそっと飲ませていたという先生の話を思い出した。そうしないと寅次の奥さんは自分の命が危なかったと聞いたあの後、俺もその意見に賛成している。
湯船に浸かると、孝子と義夫が準備した来月半ばの米寿の祝い、栗駒高原温泉、紅葉、孫も曾孫も来ると言うその楽しみを想像した。今はそれだけを思えば良い、自分に言い聞かせた。俺もいつ認知症になるか分からない。誰に迷惑をかけるか分からない。批判しているよりも自分で一人暮らしのための条件を並べてみるか、何が出来て何が出来なくなったら人に相談するのか娘息子に言うのか、ケアマネージャーや介護ヘルパーに頼るのか、また少しばかりの家や土地の始末の仕方も子供のために書き置いた方が良いのだろう。そう思うと、明日の朝の一番の仕事だなと思う。コケコッコーが開始を告げる。
(了)
これまでにお読みくださった皆様に深く感謝申し上げます。
ブログも、投稿することも初めてのことで大いに不安でしたが、アクセス数が増える度に、よし書くぞ、と七十五歳の小生でさえ改めて創作意欲が沸いてくるのも事実です。
年金生活で、毎日が日曜日、さてどうしたものかと、ほったらかしにしていた凡そ三十年も前に発刊された郷里の一関市藤沢町史、上、中、下巻を開いて、自分の知らない町に関わる歴史を知って驚き、書いてみようかと思ったのが六十八歳の時でした。
小生の書いたもので最も短い「一人暮らしのための条件」は令和二年、七十二歳の時の作品です。一人暮らしの兄の家の戸棚に貼ってあったものをヒントに書いてみました。
次のブログ公開に「葛西一族の滅亡」を予定していましたが、この度、某社の三月末原