(いぐ)らぐらい包む?、一万、二万?」

   寡婦が聞く。俺は、何時もの通りのご近所様のお付き合いで御香典は二万だろうと言った。葬儀の終わった後に準備される料理のお膳と渡される引き出物を思うとそのくらいだろうと言った。二人は無言のまま首を縦に振った。これで二人から隣近所の参会者に連絡が行く。十三年前に亡くなった女房の時にも一世帯二万円のご香典だった。年金暮らしの今の時代にそれで良いのかと普段思いながら、いざとなると世間の相場を気にする。それで良いハズなかんべー。腹ん(の)中ではいつもそう思っている。

 

   それから二人はこの五、六年になる寅次の奥さんの介護の苦労話を始めた。俺の知らないことが多かった。寅次が認知症の素振りを見せたのは八十(歳)ぐらいだったろうと言う。奥さんは七年間も頑張ったんだものと言う。朝の食事を済ませたばかりなのに、ひと眠りした十時半頃にまた起きて来て、朝飯を用意しろ、何故亭主に喰わせないんだと食って掛かると奥さんから聞かされた、それが始まりだと言う。時には深夜に冷蔵庫を漁ることも有った、明け方に漁ることも有った。それだけなら良かったけど冷蔵庫に気に入った物が無いと何時の時も奥さんを起こし、手を上げることも加わったのだと言う。食べ物を隠すのかと言いがかりをつけ、深夜に暴力では辛かっただろうと言う。道路を挟んだ家なのに大きな物音で私も夜中に起こされたことが有ると先生は言う。耳が今も達者だ。 

   

   寡婦はある時、お金がない俺の財布がないと騒ぎだし、お前が盗った、隠したと大騒ぎになったと聞かされたと言う。必ず手が上がり、髪の毛を引っ張り悪態をつくと言う。痣の出来た顔右半分を隠しての話だったと顔をしかめた。又ある時、大騒ぎしてなだめすかしてお風呂に入る段になって、脱いだ寅次の背中に紐をつけた財布を背負っていたと言う話に俺は笑えなかった。俺も最近は眼鏡に財布の置き場所を忘れて探し回ることが多くなった。財布は寅次と同じだ。人知れず首に紐でぶら下げた財布が用を足している。

   寅次が家の前の堰のコンクリート板を態々(わざわざ)開けてどぶ掃除をするのは棟梁に命令された若い時の記憶がそうさせているのだと俺は言った。三人で話していて、深夜に理不尽に起こされ暴力を受ける、不眠症になってしまった、処方してもらった眠り薬を寅次にもそっとごまかして飲ませていたという先生の話に、そうしないと奥さんは自分の命が危なかったと意見が一致した。八十三(歳)になる小柄な奥さんだ。自分の足腰だって覚束ないのに身体のデカい亭主を支え、時に暴力から()けることも避けることも出来無かったろう。

   二人が俺の家を後にしたのは、三、四十分もした後だった。この後、何時もの通り昼寝が出来るだろうか。そう思いながら、夕食ように鶏小屋を覗いてみよう、今朝はまだ確認していなかったなと晩のおかずの目玉焼きを思った。