一人暮らしのための条件①

 

 ニワトリが(うるさ)い。良く鳴く。コケコッコーが自分の仕事だと言い張っているみたいだ。俺は文句は言わないぞ。お前の声で時計を見なくても朝が来たと分かる。周りが明るくならなければ鳴かないことは俺が一番良く知っている。朝飯前に小さな畑に行って野菜の苗を植えるのも草取りをするのも、トマトの余計な脇芽摘みをするのも、またナスやキュウリに必要な肥料を足すのもお前の声を聴いてからの(おら)の行動だ。

 

 その日の天気の良し悪しを教えるのもお前だ。甲高(かんだか)く鳴くときはお前も気分が良いのだろう、天気の良い日は決まって張りきった声が響く。曇りの日は少しくぐもって聞こえるし、雨の日は少しの雨にも大雨にも太く低い声が時を告げる。面白いもんだ、お前のコケコッコーで外を見る前の天候が分かるん(の)だからな。

 

 女房が死んで七回忌の法要の後に飼いだしたんだから今年で六、七年にもなるか。お前のお陰で女房の十三回忌の年を忘れなかった。あの日の法事に来た息子も娘もまた孫の四人も曾孫(ひまご)も、もう一年近く顔を見せていない。娘が心配して時々電話を寄越すようになったけど、それも決まって最後は身体を大切にしてねの前に火に気を付けて、寝る前には必ずコンロのガス栓を切ってあるか、台所の水を流しっぱなしにしていないか確認するのよと注意が付くようになった。そしてお休みなさいだ。時々、それが小学校一年生になったばかりの曾孫(ひまご)の声に変わるときも有る。

 

 お前の声が響くと、煩いと苦情を耳にするようにもなった。街中の端っこになるとはいえ俺の家の近くに建売住宅が並ぶようになったのだから、その家々も確かにお前のコケコッコーを聞いているだろう。だけど苦情を聞くようになったのはここ五、六年のことだ。お前を飼うようになる前から、いや四、五十年も前から俺はニワトリを飼っていたのだ。多い時はお前のような雄鶏と十数羽の雌鶏を飼っていた。息子や娘が丈夫に育ったのもその恩恵の卵と時折潰したお前の先輩たちの生きのいい肉を喰って来たからだ。家を買ったから建てたからと言って、後で引っ越してきた奴らがたった一羽のお前と、雌鶏がコッ、コッと鳴くのを煩いと苦情を言うのは可笑しな話だ。

 

 息子も娘もこの生まれた家、育った町を離れてもう四十年にもなる。高校卒業と同時に東京に出たんだからそうなる。あの頃、二人とも大学に進学したいと言った。これからの時代を生きていくのに学校は行った方が良い、進学させた方が良いとわかっていたけど、死んだ女房と一生懸命働いて、それでもその経済的負担に耐えられる授業料の準備も生活費の仕送りも出来る状況にはなかった。

 

 

つつく、次回②