このブログを読んでくれている人たちへ

 

私というのは、小学生時代、いわゆるドラえもんでいうところの

のび太くんみたいな感じであったんです。

 

運動も勉強もあまりできるタイプではありませんでした。

いじめられたこともあるんです。

 

それで私は、何を目指したらいいのかを考えると、

勉強と運動ができるようになる努力をすることであると

考えたんです。

 

この頑張って生きていくというのは、

28歳の病気になるまで続いたように思います。

 

私というのは、教えてもらったことを実行していくというような

生き方をしてきたと思うのですが、そういう生き方というのは、

社会人になってからは通用しませんでした。

 

これはびっくりしたのが、前会社では、どのような状況であったかと言うと、

簡単に言えば、即戦力を求められたような気がします。

 

それで、私は、期待をされて前勤先である自動車部品メーカーに

採用されたのですが、当時、会社の商材というのは、

主に自動車部門と産建機部門に分かれていたのですが、

私は、自動車部門を担当し、数年後、産建機部門も

担当していくという流れになったように思います。

 

実質的に自動車部門と産建機部門の両方を担当している

人材というのはいなかったのですが、

親会社との兼ね合いで、親会社の営業方法に右にならえという形を

求められていったように思います。

 

私の勤めていた会社というのは、元々三菱系列であったのですが、

親会社である東海カーボンに買収されたのです。

 

それで元々の三菱系列での営業方法と親会社との

営業方法というのは、異なり、親会社との対立構造も

あったように思います。

 

それで私というのはどういうことを前会社から求められていたかと

言うと、前会社の伝統を守りつつ、親会社との橋渡しになるような

ことであったように思います。

 

私自身が1番苦しかったのは、

上記に書かせていただいたことなのですが、

親会社の圧力に屈することなく、前会社の勢力というか

伝統を守っていくというのはかなり厳しかったように思います。

 

現在は、利益率の低い自動車部門の扱いは他会社に譲渡されたみたいですが、

私自身は、反面教師として、自分のしてきたことを分かち合っていくという

考え方を持ち、野鳥の活動をさせていただきたいと思います。

 

又、前会社では、商材に対する勉強はしたくなかったのですが、

今私のさせていただいている仕事は、野鳥撮影がメインです。

今後も、カメラに対する知識や技術を向上させるため、

撮影を継続し、フォトマスター検定1級の勉強や世界遺産検定2級の勉強も

させていただきたいと考えていますので、

応援の程、よろしくお願いいたします。

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝しています。