このブログを読んでくれている人たちへ

 

私は、温泉が好きで病後、自分のことを癒してきました。

 

これはゴルフの練習や温泉を掛け合わせることで

体調の維持をしてきました。

 

最近どうもそういうことが上手いこといかなくなってきたようです。

 

私は、現在42歳ですが、40を過ぎた頃と言いますか、

最近になり上記方法での体力の回復が見込めなくなってきました。

 

又それと同時に野鳥撮影に対する癒しもなくなってきました。

 

よく定期的にしんどくなるのですが、又しばらく野鳥の撮影を

お休みさせて頂こうかと思います。

 

ゴルフの練習も全然ダメで今多分ゴルフ人生で1番良くない

スイングに陥り、なぜかあまりボールに当たらなくなり、

シャンク(ボールが真右に飛ぶ)が出ます。

 

そういうことがあり、ゴルフの練習も嫌になってきました。

 

ブログを書く気力もなく体調もあまり良くなく、

あまり何もしたくないです。

 

とりあえず、自分自身の回復に努めさせていただきたいかと

思います。

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝しています。

 

 

 

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今、鳥獣管理士の勉強を終了し、2級の資格試験を受けるのを

辞めようかと思っています。

 

テキストやノートを手放してみようかと。

 

だいぶ勉強してきたのに。

 

ついでに言うと、双眼鏡も手放そうと思ったりします。

 

これはなぜかと言うと、野鳥撮影に大切なことは観察をすることで

あるんですが、あまり観察することが面白いと

思わないようになってきたからです。

 

まあ仕事道具であるので、使っていないものの置いておこう

とは思いますが。

 

最近はゴルフの練習に力を入れています。

 

不思議なものでゴルフの練習をすると、仕事の方にも相乗効果が

出たりします。

 

もしも双眼鏡まで手放してしまうと、私の仕事自体辞めることにも

繋がってくるようにも思うのですが。

 

私の原点は婚約破棄と統合失調症という病気であり、

OM-1で野鳥撮影をし、自分のことを癒すことでした。

 

その癒しがなくなってきたこともあるんですが、

40代になり、このままでいいのかという思いに駆られるようになってきました。

 

なかなか自分の中では整理できていませんが。

 

人生の方向転換をするにしてもどこへ向かったらいいのか分かりませんし。

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝しています。

 

 

 

 

このブログを読んでくれている人たちへ

 

私は、銀座にあった「白いばら」というキャバレーで倒れ、

千葉にある徳洲会病院に運ばれた経験があるんです。

 

これは急性アルコール中毒ということになりました。

 

私は、会社を辞めるタイミングを探っていたのですが、

大阪支店時代には辞めることはしなかったんです。

 

これはなぜそういうことをしたかと言うと、

私に仕事のことを教えてくれた先輩のことが可哀想に

思ったからです。

 

私が辞めると、多分新人教育の失敗の烙印を会社から

押される可能性があると考えたからです。

 

だから大阪支店時代は会社を辞めなかったんです。

 

東京支店(本社)に転勤すると、辞めるチャンスがやってきました。

 

当時の営業本部長が感情的に怒りをぶつけるような

指導をやってきたんですが、これは私にとって大チャンスに

なりました。

 

辞める口実ができたからです。

 

彼は私に対して辞表を書けと言うのですが、(本当はそう思ってなくて、

感情的になっただけだと思うのですが、)これに対して私は、

即座に反応し、翌日に辞表を提出してやりました。

 

これは上司に対して勝った感覚がすごかったです。

 

まさか彼も翌日に辞表を提出してくるとは思わなかったでしょう。

 

これは取締役などがすぐに引き留めに

かかってきたのですが、振り切ってやりました。

 

私は仕事を辞めて何をしたかったかと言うと、アルバイトをしながら

銀座の町を撮りたかったんです。

 

私は辞める直前に門前仲町で風呂なし4畳半のアパートを借りていたんですが、

そこで住もうと思ったんです。

 

これは元婚約者と別れてから彼女を養っていくのには

会社で出世などしても収入に対する天井があり、

銀座が実家の彼女のことを養っていくことは無理であると私は判断したんです。

 

単純に写真家になれば、収入の天井はないと思いました。

 

又、この辞表を提出した時というのは私自身には異変が起きた時でも

ありました。

 

大阪支店時代のお客さんなどの名前を忘れたり、

新しい取引先の人の名前を覚えることができなかったり。

 

勤務中吐き気がしたり、夜寝る前には顔が痙攣したり、体と心からの

SOSが届いた時でもありました。

 

今なんとか生きることができていますが、本当に両親に感謝したいと

思います。

 

皆様も私みたいにならないように心身ともに崩壊しないように

気を付けて生きて下さい。

 

心の方は壊れてしまうと本当に大変です。

 

時間がかかるし、心自体の耐久性も落ちますし、薬も飲み続けなくては

いけないし、障害も残ります。

 

皆様の心の状態がいいように保持されますように。

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝しています。

 

 

このブログを読んでくれている人たちへ

 

今日も、やっちょん広場の前の紀ノ川河川敷に

行ってきました。

 

野鳥たちが撮れたので、載せさせていただきたいと

思います。

 

よろしくお願いいたします。

 

アオジ

 

 

コガモたち

 

カメ

 

コガモ メス

 

コガモ オス

 

ウグイス

 

 

オオバン

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝しています。

 

このブログを読んでくれている人たちへ

 

私は、近畿大学を卒業後、東海マテリアルという自動車部品を主体と

するメーカーに営業職として入社させていただきました。

 

実はずっと自分の仕事というのは何をすればいいのか分かりませんでした。

 

私の周りの友人というのは警察官になる人が多かったのですが、

私自身も地元の警察官の方から願書を渡されたり、たまたま大学の時にATMから

1万円を盗んだ大学職員のことを捕まえたりして大阪府警の布施警察署の刑事課の

人から警察官になってみないかと誘われた時もありました。

 

それから実は会社員になる時でさえ苦労しました。

 

私は、学生の時に正社員で働くことに対する意味を見出せなかったのですが、

この時は就職も1年程のブランクがありました。

 

何をしていたかと言うとアルバイトです。

 

ローソン、道頓堀にあるびっくりドンキーの調理、

郵便局、大阪ドームの案内係、コンサートスタッフ、イベントの案内係・会場の設営、

ホテルのベッドメイキングなど、色々あります。

 

私は自分自身の感覚を大事にしていて大学を卒業後、

すぐに就職する意味はないと考えていました。

 

これは途中で考えを改め、一旦就職することにしたのですが、新卒ではないので、

正社員としての採用に対するハードルは高かったんです。

 

さらに就職氷河期でもあり、正社員になることですら厳しい時代でした。

 

入社してから私の感覚として会社を辞めた方がいい感じというのはすぐに

分かりましたが、石の上にも3年という言葉がある通り、それを信じて

5年程働き辞めました。

 

その辞めることが決まってから退職日までの間に統合失調症という病気が

発症しました。

 

長い間、社会とは断絶した生活をし、7年程前にやっと自分のことを

癒していくための野鳥の活動も発見しました。

 

その活動も今で7年程させていただいていますが、

これに対する私自身の癒しも無くなってきました。

 

仕事にしてみたら又感覚は違うようになってきました。

 

私の仕事に対するステージというのは変わってきましたが、

これからも頑張っていきたいと思っています。

 

皆様に紀ノ川河川敷の野鳥たちのことをお届けさせていただきたいと

思っています。

 

今も過去の私のように自分の仕事は野鳥撮影であるという

明確な答えはありませんし、毎日辞めたいと思っています。

 

あまり好きなことは仕事にしない方がいいかもしれません。

 

なんとか意地でやり通していっているという感じです。

 

私は、精神障害を持っているので、普通の人よりも大きい試練というか

ハンデが与えられました。

 

あまり、それに対して立ち向かっていく気力も

ないのですが、とりあえず、明日またできることをやり、毎日を生きていきたいと

思っています。

 

皆様も仕事をしている方が大半であると思いますが、

頑張って下さい。

 

応援しています。

 

そして素敵な人生を歩んでいって下さい。

 

今日もお疲れ様です。

 

又明日も頑張って下さい。

 

皆様と私の人生が良きものとなっていきますように。

 

本日もお読みいただきありがとうございます。

感謝しています。