大学に進学するのが当然だという雰囲気に反発を抱きながらも、卒業後に進むべき道もしたい事も分からなかったので、受験勉強して臨んだ試験。

 

結果、全部不合格を喰らいました。

目の前が真っ暗になって泣いた記憶を「覚えていない」「思い出せない」ではなく、そうは思い当たらない。

 

他人からそれを解説されると悔しいけれども、自分で指摘する分には、必死さや真剣さが高3の僕には足りていなかったと相対的に思います。

 

受験に失敗しまして

 

遅ればせながら、大学がどういう場所であるのかそこから調査勉強し直しました。←ホント遅れていました。いろいろと知っていくうちに、したいことや志(こころざし)がふつふつと湧いて来ました。希望を見出しました。今度はもっとちゃんと【頑張ろう】と思いました。

 

 

次に。

拓郎...ではなく宅浪はさすがに僕には無理だろうと予備校選びに着手しました。

実際に手当たり次第に校舎まで足を運びパンフレットを貰いました。

 

そして

 

代ゼミや-今はもう受験生の面倒を見ていない-研数学館 ≒ 予備校業界の拓郎さんやユーミン、永ちゃんやオフコースといった大手や有名どころではなく、泉谷さんやPANTA,鈴木慶一氏にSION的なところに決めました。僕の【たとえ】は人生首尾一貫終始分かり辛いwith「それは違う」と云う高評価を得て今日に至って来ています。

 

この決定を両親に告げると相当な反対を受けました。逆風逆流でした。説得に時間を要しました。

 

当初

 

卒業から四月までの期間、ゆっくりゆるりと過ごそうと高をくくっていました。すると3月とは予備校業界的にもう、次の春に向けての授業が開講、登校を余儀なくされていました。心の準備を急かされて、背中を押されて引っ張られて、驚きおののきました。

 

僕がお世話になったのは -ヒット・チャートを賑わせた歌が複数あるが如くの- あちらこちらの駅ごとに校舎を構えている予備校ではありませんでした。

 

知っている顔が無い、偶然でも万に億でも一つも無い、そういった環境で勉強するのがいいだろう...という意図意志があったのでした。

 

ところがどっこい、ちょいとlisten to me

 

4人もいましたおばけくん

 

みんな高校の同級生。うち3人、1年の時に同じクラス。あと一人は、親しく会話を交わしたことは無かったけれども出身中学が同じで互いに知った顔同士でした。思いのほか、泉谷さんやPANTA(頭脳警察), 鈴木慶一氏(はちみつぱい,ムーンライダーズ)にSIONまで、みんな結構聴いていたんだね!という感じの浪人時代の幕開けでした。

 

re:僕の【たとえ】は人生首尾一貫終始分かり辛いwith違うんじゃないのと云う高評価を得て今日に至って来ています。

 

もともとそんなに親しい間柄ではありません。まさかの場所で再会した人間同士でした。

 

たとえ行く道そして行き先が違っていても、同じ境遇に身を置いている、という連帯感みたいなものが、さらっとあったと思います。

これが貴重で良かった1年です。

 

今思い出しました。

ちょっと気になる女の子がいました。が・しかし、夏が終わる頃すりきれたスニーカーはいて恋を追いかけるようなことは僕にはありませんでした。 思いきって声をかけなかったーーからです。だがしかし声をかけてもダメでしたでしょう爆  笑

 

 

 

本題

 

その夏に長渕剛がアルバム『LICENSE』を発表しました。※このアルバムはちょうど2年前の今頃。あるサイトにて【長渕剛で好きなアルバム・ランキング】で1位を獲得しています→詳細→【ここをクリック(僕のレヴューです&元のページはもうありませんでした涙)

 

 

 

予備校でまさかの再会を果たした4人のうちのひとり、高校1年の時のクラスメート K君。⚽サッカー部でした。この予備校時代も、授業後の気分転換の為にかサッカーボールをいつも持参していました。

 

休み時間

 

K君「〇〇〇君(=僕)長渕好きだったよね『LICENSE』持ってたら貸してくんない?」

お!さすがK君!! いいよ~。授業中に手をあげて僕のことを好きだと言えたなら喜んで貸すよ~」

「一緒に『勇次』のシングル(1985年)も貸してあげるよ」

K君「勇次は『HUNGRY』(1985年のアルバム)に入っていたから大丈夫だよ」

「B面が『LONG LONG TIME AGO』だよ♬」

K君貸してくれ~」

 

 

僕らが初めてLONG LONG TIME AGO」を聴いた知った「いい歌だ」と、心に留めたのは1984年

 

この頃の長渕剛はTVドラマ「家族ゲームⅡ」。

オフコースが4人で活動再開『The Best Year Of My Life』やシングル「君が嘘をついた」「夏の日」の年です。聖子ちゃんは「時間の国のアリス」(作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂ことユーミン)←財津さん楽曲をさしおいてかなりとってもすっごく、好きな歌です。

 

1984年とは。

 

長渕剛はアルバムは『HORD YOUR LAST CHANCE』シングルはドラマの主題歌だった「孤独なハート」TBSのドラマに定期的に主演し始めた頃です。

 

この関連でTBSで、深夜に入る午前1時くらいから?日本武道館でのLIVEの模様が1時間か70分くらいだったかで放映されました。

 

我が家にまだビデオレコーダーが導入されておらず、その後、再放送もされず(多分)、この時の模様を保存し損ねています。※ちなみに「家族ゲーム」「家族ゲームⅡ」「親子ゲーム」「親子ジグザク」は再放送で、「とんぼ」以降&NHK単発「うさぎの休日」やフジの「しゃぼん玉」までは録画してその後DVDに焼けています。

 

この時に「LONG LONG TIME AGO」が歌われたのでした。この放映を観た友達の間でこの曲が「あれが良かった!」と話題になったのでした。(「HOLD YOUR LAST CHANCE」は言うまでもなく、だったと思います)

 

...と書きましたがこれは今の創作の追想です。この会話があったかどうか自信がすこぶるありません。

 

ただ、予備校時代のK君との会話は鮮明に覚えているのです。だから高校1年の時にきっとこんな会話をしていたはずなのです。

 

すくなくとも僕は、その放映限りの「LONG LONG TIME AGO」の、まだ経験したことがないのに、なんとも言えない遠い懐かしさ 失ってしまったもののかけがえのなさ 幻想的な美しさを感じたのでした。 それらを醸し出したギターの調べと長渕剛の歌唱が胸に残ったのでした。※当時の長渕剛は、いわゆるフォークソング的な曲調や作風から、激しさや派手さが歌詞やアレンジに色濃く出ていた頃でしたので尚更でした。

 

K君が言ったように「勇次」はアルバム『HUNGRY』に収録されています。

「勇次」はアルバムに先駆けて発売。B面が「LONG LONG TIME AGO」で歓喜しました。

 

ただ、当時の感想を正直に漏らします。

このスタジオでレコーディングした音源は、初めて聴いたときよりも、なんだか派手というか雑な感じがしまして...ちょっとがっかりしたものでした←いまは評価が変わってしみじみと聴き容れます。

このアプローチが今では絶品です。

 

 

長渕剛は、風貌から声質に作風まで、どんどんと変わって... いえ...正確には、よりよい自分を渇望して壮絶な試行と模索を繰り返しながら前進、長渕剛本人がその時その時の全身全霊を作品に注ぎ続けて行っていたように思います。

僕はその姿と作品に感動していました。

 

 

 

多くの人の心の中まで歌が届き、

振り向かせたような気がします。

 

そして頂点にして原点。

なんだかんだで

前人未踏(未到)史上初。

 

1992年。

東京ドーム。

ギター一本弾き語り

3時間歌い切りました。

行ったように書いちゃってますが

映像作品での体験です

 

この時アンコールで「LONG LONG TIME AGO」が歌われました。

これです。こっれがむちゃくちゃ僕は好きです。

 

歌詞がいいとかではなくて

好きな歌なのです。

 

長渕剛が歌ってこそ、

弾いてこそ、という

強い条件がこの歌には

厳として頑なにあります。

 

 

 

 

最近、なぜだか、ふとよく

くちずさんでる歌です。

そしてK君の頃を思い出しました。

 

 

 

 

 

ここまで

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

  ちなみに

「家族ゲームⅡ」には若き日のエンケンさん(遠藤憲一)もちょい役レギュラーで出演していました。

 

 

参考2018年~2019年のエンケンさんワークス

詳しくは【ここ画像】をクリック

渋い役こそハマるのに

いまだに今でも

仕事に遜色つけないエンケンさんに脱帽&乾杯

ニヤリ