本稿

センチメンタル度 ★★★★★ 5つ

 

 

昭和63年(1988年)@サークルの部室。

あさ一番乗り。他の部員が来るまで時間がある。カセットテープを取り出し部室のラジカセでながら聴き。

 

 

先輩「早いね。?これ、誰だったっけ?」

僕「寺尾聰っス」

先輩「いつも変わってるねぇ君はwまだ聞いてるんだ」

 

※呆れる様子ではなく-湯船に浸かったときの自分の体重分の水位の上昇から、複雑な形状をした物体の体積の量り方が閃いたアルキメデスみたいな-驚きまじりで感嘆した言い方だったような感じでした。

 

 

ルビーの指環 のヒットが昭和56年(1981年)

 

この時、この頃、寺尾さんでよく聴いていたのが『SPECIAL LIVE IN TOKYO』(1984年)タイトルの通りのライヴ・アルバム。一家に1枚の名盤『Reflections』とその次の『Atomosphere (Reflections 2)』からそれぞれ4曲、加えて、堺正章さんへの提供曲「メリー・ゴーラウンド」の合計9曲で構成収録。

 

 

今週、久々に寺尾さんの歌を聴きました。そのうちの1曲「回転扉」。それで冒頭の場面をふと思い出したのでした。(無駄申告:僕はレコードでリアルタイム購入してます)

 

 

ゆく宛のない悲しみを 持て余すだけで

振り返る 胸深く

 

...

 

この胸に刻まれた 深い傷跡を

忘れるすべがあるなら

 

あれほど 激しくは 二度と愛せない

何もかも ただひとり

 

あの日から すべて揺らめく 陽炎のように

やりきれず ただひとり

 

回転扉

作詞:有川正沙子

作曲:寺尾聰

編曲:井上鑑

1983年シングル/アルバム『Atomosphere (Reflections 2)』B面3曲目

 

 

サークルと言えば・・・。

 

いっこ上の先輩女子を僕は好きになりました。

 

この先輩は甲斐バンドの熱烈なファンでした。

無駄補足:僕が甲斐バンドを本格的に聴き始めたのは、僕が中2 -甲斐バンドはBULE LETTER- からリアルタイムで聴き初めました。

 

この先輩は、

なぜか僕を下の名前で呼んでました。

 

この先輩は、TULIPも聞いてました。そして中でも「Silent Love」の歌詞を絶賛。ですから、結構コアなトコを突いてる、過大評価して( ´∀` )素敵な魅力的な女子でした。幾つかの条件が整ってしまいI cannnot help falling love with youでした(笑)

 

 

 

 

この先輩女子とは、1989年7月TULIPファイナルツアー『Well』のファイナル4日間@中野サンプラザ7月4日公演に一緒に行きました。(7月3日は一人で参加、7月7日と・8日最終日のチケットは取れませんでした)

 

 

TULIPは勿論、甲斐バンドも今でも定期的に聴いているわけですが・・・不思議なもので、あるいは、そんなもんで・・・あんなに好きだったこの先輩女子を、歌にあわせて思い出すことが、すっかりぺろっと永らく無かったような気がします。

 

 

 

 

二十歳になったばかりの僕は

別れた女を責めながら

いっそ死のうと泣いていた

恋は一度と信じてた

 

思えば遠くへ来たもんだ

今では女房子供持ち

思えば遠くへ来たもんだ

あの頃恋しく思い出す

 

これが今聴ける歌詞です。

海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」の一節。

 

別の歌詞があります(勿論鉄矢さん歌唱鉄矢さん作詞、この歌の作曲はふきのとうの山木さん)

 

二十歳になったばかりの僕は

別れた女を責めながら

いっそ死のうと泣いていた

恋は一度と信じてた

 

思えば遠くへ来たもんだ

あれほど恨んだ人なのに

思えば遠くへ来たもんだ

あの頃恋しく思い出す

こういう心情を持たない人は露ほどだって砂粒ほども持たないだろうし、そもそもそういう恋の仕方をしていないのだろうし、あるいはギリギリで踏み止まって決して言語化なんかしないのでしょう。

 

でも。

 

すんません。僕は65%くらいで↑こっちよりの男でした汗 

 

いっやあ・・・あんなに好きだった気持ちも激しい感情も、いつの間に・今は一体何処に行っちゃってんだろうか。

 

でも、その頃は。

腹の底から 泣いていた

...

 

 

Bye Bye Bye Bye  

忘れてしまうしかない悲しみに

Bye Bye Bye Bye  

あの時流した にがい涙に

 

Bye Bye 忘れてしまうしかない悲しみに

作詞・作曲:長渕剛 1981年

 

 

内側に渦巻いた激しさが、だんだんと弱まって薄らいでいったのは、そういうふうにできていたんだろうな・・と、不十分に、言葉足らずでしか説明ができそうにありません。

 

 

 

 

目隠しで過ぎた時が

残した傷に こだわりが今消えてく

 

 

...

 

I'll Never Cry Again

Just Sunshine In My Heart

忘れることは 

許すこと たぶん そうね

さえぎるもののない青空に

あこがれていたんだわ

 

不思議ね 空が近い

いつもより 空が近い

 

作詞:戸沢暢美

作曲:柿原朱美

編曲:武部聡志

1989年

 

 

本家:柿原さん

 

 

もうこれらの歌の・こういう気持ちなど等を、抱く苛まれる(さいなまれる)ことから気が付けば離脱、成就、めでたく引退していて久しいなあ。

まさかのカムバックも永遠にないでしょう、あってたまるか笑

 

忘れるのは「人を」「誰かを」ではなかったんですね。

 

 

このブログ上やはり「忘れる」といえば。

なんと。1989年7月4日@中野サンプラザでこの歌を聴いていた時、その隣に、先輩女子がいたんだ。いま感動。この歌を何度となく聞いて聴いてきたのに、こう思い至ったのは今日だ。今この瞬間だったりする。

 

 

君にもらったレコードも

みんな返してしまったよ

だけど君が残していった想い出は

誰にも返せない

 

あの日と同じ雨が降る

今日は心に降りかかる

 

忘れることをつくってくれた

神様に感謝をしなければ

忘れることをつくってくれた

神様に感謝をしなければ

 

 

 

神様に感謝をしなければ

作詞:安部俊幸

作曲:姫野達也

 

 

 

 

忘れてしまうのは「人を」「誰かを」ではなかったんですね。

 

 

 

 

ここまでありがとうございました。

よくぞ読了していただけました。

感謝もうしあげます。

★★★★★ 感謝5つ