自分の話で恐縮です。

 

もう2年ほど前になりますが、祖母が老衰で亡くなりました。コロナの真っ只中で手を握ることも出来ず、そのまま葬儀場へと運ばれて行きました。“自分の話で”と前打ちましたが、僕だけに当て嵌まる経験ではない筈です。※念のため追記※僕や祖母、親族の誰かがコロナ陽性だったわけではありません。が、感染拡大防止の一環としての接触不可でした。

 

死んだら荼毘に付され灰になり、残された人間が亡くなってしまった人を悼むのみです。祖母はもう随分と永らく誰が誰であるのか認識できないような状態でいました。

 

だから“手を握ってやりたい”という思いは、その言葉通りで、こちらの感謝の一方通行だったと言えば、まあ、そうなんだと思います。

 

でもやっぱり、受け入れざるしかなかったとはいえ、申し訳なさが今こうして書いていて蘇って来てしまいます。

 

こういう・そういう話は報道されていましたから、「ああ本当に“そう”なのか・・・自分もそうなってしまった」と少し、ほんの少し、痛手を撫でられて貰えた、とも言えます。「・・・自分だけではないんだな」というように。

 

そしてその時、僕は、すっかり大人でした。

 

 

その後。その後。その後。

 

ワクチン接種後の副反応のダメージが、「これならコロナに罹った方がまだ楽なんじゃないか?」と冗談とも本気ともつかない感じで語られる場面もあるようになりました。

 

あるいは、

 

喉の痛みや発熱、だるさなどから、検査をしてみたら陽性反応が出てしまった。けれども、最近の岸田さんみたいにリモートで仕事できるほど、たいしたことなく、無駄とも言える自宅待機を強いられ、仕事に穴をあけ誰かに負担をかけた申し訳なさだけが心的痛みとして残った(あるいはフォローした忙しさがあった)、ような近頃でもあるのかもしれません。

 

 

それを生業にしている当人、そこに携わる方々にとっては仕事と収入が途絶え(更に借金が嵩む)る深刻な事態だった筈ですが、僕にとっては、余暇・娯楽の一環でした。が、この間、辻仁成、財津和夫、松山千春、山本彩、ASKA、直近で稲川淳二のLIVEが振替公演の都合がつかず、甲斐なく中止の憂き目を喰らいました。

 

 

僕を取り巻いた状況は、このような感じ。

こんな程度。

僕はすっかりとっくに

大人として生きています。

 

 

 

今年に入ってからの話。

・・・どころか

たった先月の話。

こちらは書きかけて答えが見つけられず下書き放置で終わった記事。冒頭。

契機となった出来事

「一律辞退に号泣」「メンバー変更し出場」…高校選手の感染対応、競技ごとに差で不公平感 (msn.com)

 

抜粋

磐田東は、6月の県大会で17年ぶり2度目の優勝を決め、総体出場の切符をつかんだ。7月23日に会場がある徳島県入りし、翌日朝に選手1人が発熱。検査を受けたところ陽性が判明し、7月25日の初戦を辞退した。

 

これは高校サッカーに限らない、つまり特殊・特異な事例ではありません。努力に努力を重ねて来た若者が、直前も直前で、その成果の集大成を発揮する一生一度の晴れの舞台を取り上げられてしまっています。そしてこの理不尽は、高校サッカーだけでも全国大会だけにも限られているわけではありません。それこそ無数に未だにあります。無症状であっても陰性であっても、一様に若者たちに過酷な現実を突き付けます、コロナが。正確にはそのルールを定めた大人が。そのルールが発動しないように気を付け心掛け実践すること位は、大人ならばせねばならないと僕は思うのです。

 

 

高校野球。

東北勢、春夏通じて初の全国制覇を成し遂げた仙台育英高校の須江監督。今大会、左手にしていたオレンジ色の腕時計。優勝の際の言葉が話題になっていますので、目にした人も多いと思います。

このオレンジは、宮城県予選、準決勝で対戦する筈だった仙台南高校のチームカラー。仙台南高校は開校以来初の準決勝進出でした。が、コロナの陽性者が出た為、準決勝の試合を辞退しました。

 

 

これが今の日本のとある側面。一面。

(余談ですが、仙台南との練習試合も甲子園出発前に組んでいたようです)

 

 

別の話。

 

医療現場は逼迫していると報道されています。

優先されるべき人が入院できない、治療を受けたら助かった筈の命が助けられなかった、という事例が-結末として-少なからず発生してしまっています。

 

 

コロナが面倒なのは・・・厄介なのは・・・

いえ僕が恐れる・怖いのは、

こういう事なんだと僕は認識しています。

(医療の現場のみを指しているわけではありません)

 

 

全員が全員、重症化するわけではありません。病気に罹って命を奪われるのはコロナだけではありません。分かってます。

でも一様に時間や機会を強奪します。

その当事者の押し潰されてしまった心に、

かける言葉がどうしても見つけられないほどの。

 

 

コロナによる停滞にうんざりする、痛い目に遭って慎重になる、他人からみたら臆病なまでに用心している、という事と、誰かが楽しみを謳歌する・享受するという事とを、それぞれの立場・視点からで以て、相手をただ軽蔑したりすこぶる小馬鹿にしたりする(のが生きがいな)のは、その人の品性の問題でしょうからある意味コロナに劣らず質が悪いような気がします。

 

自分の尺度や経験を、

全善・完善とするのは間違いでしょう。

 

 

ただ・・・これを踏まえて尚、・・・

 

 

 

つい最近、話題になったこれ

 

 

不愉快でしかなく絶望的にかける言葉が見当たりませんでした。また、Takaという人から見たら、僕はビビりの糞真面目のつまらないおセンチな可哀想なシケたオッサンでしかない、と映る筈です。僕の方から積極的に無駄にその視界に侵入したら。

 

もし、身近にこういう若者・部下が居て、一緒の仕事に取り組むとして、意見や方向の相違が生じたら超難問だ・・・

 

・・・と思ってまして白旗・お手上げ状態でした。

(一緒になるなんて事はありませんが)

知らないフリをするのが賢明でした。

(今、ここに書いてしまいましたから、賢明から脱落してしまっています。)

 

 

・・・ところ・・・・

 

われらが長渕剛

 

抜粋

MCでは「俺、コロナになっちゃったけどね、たいしたことないんですよ、ほんとに」と自身の体感を語るとともに、「おかしいです、今、日本は。本当におかしい。本当におかしいよ」と、日本国内でのコロナをとりまく風潮に私見を述べ、「だまされんじゃねぇぞ」と呼びかけた。

 

ネット記事にありがちな -悪意に満ちた切り取りではなく- この日のライブに参加された虹野かなたさんのレポートを読みますと、このネット記事はむしろむしろ良心的で生易しい生ぬるい位の記述になってます。いつもありがとうございます。※すみません、お借り致しました。

 

↑この記事にコメントしています。

 

 

LIVEでの実際の様子をぜひ上記記事で確認して戴きまして、そして、長渕剛の今回の発言。

 

ファン(や信者)あるいはアンチでもなく、ニュートラルな立場から、その発言について「よくぞ言ってくれました!」と共感を表明している人もTwitter上では結構散見されます。

 

中止や辞退に伴う救いがたいダメージと、先に待っている充実感とを秤にかけたら、長渕剛の言わんとしたところが伝わるのかもしれません。

 

 

が、しかし

 

 

 

 

 

 

このブログ内で検索をかけると

 

長渕剛 この記事までに75件ヒットします。

(この記事が76件目)

ぶっとい(太い), 内容が厚いものは絞られますが、僕が中学生の時以来、ずっと聴いて来ている好きな歌い手の一人です。

 

が、・・・

 

というのが今回の僕の立場でした。詳しくは上記「虹野かなたさんのブログ記事コメント欄」をご参照戴けましたらと思います。

 

逆接が多くてすみません。

結論としては、発言に伴う長渕剛のLIVEでの振る舞いは「それは駄目でしょう」が僕の立場です。