僕は僕で苦しんでも来たし、僕が僕でよかったと振り返られる瞬間も探せば見つかる。これを意識するか否か、挙句吐露までしてしまうかどうかは人それぞれであるにしても、ごくごくありふれた心情と人生に過ぎない。 これを思いもしない、それを思っても口にしない賢明さの持ち主は、どこかで今の流行りを眺めてる。

 

誰かを羨ましく思うのはいつまでたっても失くなってくれない。かといって自分の境遇を嘆いたままで何もしない出来ない自分ということもなく、闘っていた時期時代もある。僕が恵まれてきたのは、取り組めば立ち向かえば何とかなって来た、という境遇だ。その瞬間は自分の分量で苦しくとも。

 

 

自分の生い立ちを恨んだことは無い。見当たらない。両親にも友人にも感謝する。これは自身の経験値である一方で、他人の不幸不遇を期せずして突き付けられた際、そう感じてしまう醜さ未熟さ無神経さ身勝手さ鈍感さも未だ在る。

 

厄介困難な境遇が降りかかり、苦しんでいる人、抗おうとしている人、泣き叫ぶ人、立ちすくむ人、闘っている人、命を奪われてしまう人間までいる。

 

発端に、結果結末が入り込んで来る。その顔を新聞や映像で初めて見る。名前を知らない人の姿も映し出される。この瞬間はどうにも息苦しくなる。こういうことは本当に勘弁して貰いたい。感情が追いつかない。「なぜ繰り返されるのか」という怒り、「繰り返されないように」という願い、だけでは虚しい。その人の時間が巻き戻り、尊厳は回復されるのか。命を奪われ戻ってこれない人もいるのだから。こんな風に生まれて来たわけではないし、そんな風に他人の命を脅かしていいわけがない。そこに見合うだけの言葉をあてがえられない。今現在、この瞬間、闘っている人がいる。闘えないで苦しんでいる人がいる。泣いている人がいる。助けを求めている人間がいる。

 

 

 

 

 

 

 

この歌が発表されたのは1978年。僕がこの歌をレコードで聴いたのは1985年あたり。雰囲気が好きでした。 彼の長い長い長いキャリア、刻んだたくさんのコンサートの内の1回、1990年に生唄も聴けていました。 原曲よりも尖って突き刺すような演奏と歌唱だった、と思い出されます。激しかったように思います。歌の姿が在りました。

 

 

 

そして

 

とある物語として、ではなく、そこから幾つもの重い重たい事実現実へと結びつけてしまいます。国内外問わず。もしかしたら、これは想像力の悪用なのかもしれません。が、心が締め付けられてしまいます。40年以上も前の歌なのに、その内容断片に於いて未だに改められない不幸や理不尽にそして戦争がのさばっている。苦しめられている人、抗い闘わなければならない人々がいる。

 

 

誰がつけたか あだなは「ジャック」

横浜港の隅で育った

ちぢれた髪に 褐色の肌

生まれた瞬間に 不幸抱いてた

 

虐げられた 子供時代が

奴の心に 鋼を入れた

鋭い瞳 鉛の拳

味方といえば 自分独りさ

 

旅立てジャック 自由には地図がない

旅立てジャック 靴には羽がない

だけどジャック 心には道がある

 

奴の働く 自動車工場は

オイルと汗で 心は黒く

でも本牧の DISCOへ行けば

奴のステップ 星もたじろぐ

 

奴が愛した 店の女は

身なりと服で 男選んだ

この都会では 金が無ければ

人の愛さえ 手も届かない

 

旅立てジャック 夢には色がない

旅立てジャック 服には金がない

だけどジャック 心には道がある

 

話があると 夜更けの電話

波止場で奴は 酔いつぶれてた

顔も知らない 親父の国に

明日渡ると 海を見ていた

 

奴は二ホンを 愛してたんだ

二ホンは奴を 愛せなかった

一億人が 見せかけだけの

豊かさの中 沈みゆく島

 

旅立てジャック 自由には地図がない

旅立てジャック 靴には羽がない

だけどジャック 心には道がある

 

 

 

「旅出てジャック」

作詞:松本隆

作曲:吉田拓郎

1978年アルバム『ローリング30』(LP2枚組)

Side-C. 2曲目

 

 

 

 

「旅立てジャック」と言えばレイ・チャールズ。

1961年。

原題:Hit The Road Jack 

歌本来の姿、味わいを思い出させてくれる1曲。

誰がつけた?この邦題。