・今日の文章は馬場さん以外、敬称略です。

・今日はプロレスネタです。

 

T: 釣り

P プロレス

P: プラモデル

 

1983年 テリー・ファンク 最初の(笑)引退

全日本プロレス/スーパーパワー・シリーズ

・・と缶コーヒーのオマケのハンセン。

 

越中がまだ生粋の全日選手だった頃。

三沢はタイガーになる前。

 

TPPすっかり縁遠くなってしまった趣味。

 

 

 

例えば、アラフィフであれば・・・

--- 問題 ---

(1)間奏中や歌い終わり

タンスを肩に担ぎあげた男性歌手は?

(2)母校での歌い終わりにスーツ姿のまま

後方宙返りでプールへ飛び込んだ歌手は?

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アラフィフ以上の正答率(完答)は・・・

50%では、まだまだかなり低いと思われます。

 

念の為、解答は今日の記事の#の一つ目と二つ目です。#でここに来てくれた方、ゴメンナサイ。 この話題はこれでおしまいです(土下座)

 

 

 

 

以下は、きっと、それより正答率が

低くなるんだろうなぁ、という問題。

--- 問題 ---

【1】以下の空欄(A)(B)(C)に適切な言葉を補い

慣用句を完成させなさい。10代の正答率: 0%(予想)

 

「ジャンピング・ニー・パッド!

(A)の(B)に(C)ッ!!!」

 

【2】上記慣用句を踏まえ以下[     ]について、

漢字2文字を補い人名を完成させなさい。

 

(1) 和田 [     ]

(2) タイガー [     ]

(3) ジョー [     ]

 

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解答が必要なのは【2】の(2)のみと思われます。

理由:他は一般常識で(笑)、あるいは興味がなくても知らなくても生活していく上で何も苦労・生きていく中で屈辱が生じない為。

 

 

 

 

 

 

【2】(2) 驚愕の解答・納得の解説

服部じゃなくて戸口です!

タイガー戸口(キム・ドク)

 

タイガー戸口へと導く超解説

【1】の解答は「ジャンピング・ニー・パッド!あごの先端にヒットッ!!!」

(倉持隆夫アナ*僕はこの倉持アナのお孫さんと平成時代後期、意図せず巡り会い、そこそこ深い縁を持ちました*実話、前にも書きましたが)。 

【2】(1)は和田京平レフェリー、(3)はジョー樋口レフェリー、 つまり全日本プロレスです。

 

レフェリー括りであるならば、タイガー服部レフェリーですが(かつ全日マットでも裁いていますが)【2】問題文には “上記【1】慣用句を踏まえ” とあります。以下の説明にて服部レフェリーよりもタイガー戸口と答える方に妥当性が強くあります。

「ジャンピング・ニー・パッド!あごの先端にヒットッ!!!」は -アラフィフで史上最強日本人レスラーは?というアンケートを実施したなら間違いなく上位に食い込む- ジャンボ鶴田。

ジャンボ鶴田は後に天龍や三沢の越えなければならない壁として立ちはだかりましたが、古くはタイガー戸口の壁となっていたのでした。タイガー戸口の対鶴田戦績:1敗8分。また鶴田とタッグを組んだ際の戦績は27勝1敗、その多くはタイガー戸口がフォールしていました。

※ウィキペディアより

 

よって答えはタイガー戸口です(笑)

 

 

 

 

 

--- 問題 ---

 

【1】

 

2015年天龍が引退を表明、引退ロード・ツアーには国内外問わず縁のあるレスラーが天龍を訪ねました。 ※天龍は外国人レスラーとは普通に英語で会話します。

 

ハンセン

「みんな辞めていくんだな・・そういう仕事だしな」

天龍

「俺より先にスタンが辞めるとは思わなかったよ」

ハンセン

「お前が俺を辞めさせたんだ(笑)」

 

【問題】

さてハンセンは続けて何と言ったでしょうか?

 

 

 

【2】

 

しばしの歓談を終え

控室を去るハンセンの背中に向かい・・

 

天龍

「俺とテリーとスタンで組もうぜ!」

 

 

【問題】

さてハンセンは何と答えたでしょうか?

 

 

 

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CSの深夜1:00~4:00くらいには新日本プロレス、全日本プロレスの懐かしい試合を観ることができます。※70年代から全日四天王・ノア全盛期・新日闘魂三銃士あたり。タイミングがいいときは猪木VSマサ斉藤の巌流島、アンドレVSキラー・カーン、長州のジャパン軍が全日参戦、元横綱輪島の全日デビュー、などなどをYouTubeと違い通信費や接続環境を気にせず -また、アメブロみたく突然- 固まらず、TVの大画面で観られます(笑)

 

【追記】馬場さんとの縁で松山千春がゲスト解説した記念大会も放映してました。※妙に偉そうだな~と思っていたら、そう言えばの松山千春でした(笑)

 

 

1981年 全日本プロレス世界最強タッグ最終戦、ザ・ファンクス vs ブロディ・スヌーカ組の試合を直近で観ました。それでこの文章の執筆に至っております◎ 1981年は音楽だけでなく プロレスも熱かった。

 

Superfly と言えば、今は歌唱力随一の歌手だけれども、元祖はジミー・スヌーカだった筈(笑)

 

 

この試合には、当時、新日本プロレスで活躍していたスタン・ハンセンが -今のようにSNSやTV番組のラテ欄の“重大発表があります”という予告の割に結局、その内容に肩透かしを喰らうようなこともなく- 予告無し、突如、青天の霹靂、ブロディ&スヌーカ組のセコンドとして一緒に入場しました。入場前TVカメラは後姿から映していました。

 

これは、僕の人生びっくり100選 

時系列で前の方に来ます。

 

 

星野源と新垣結衣が本当に夫婦になったニュースも、去年の夏ハロプロ・オールスターズのコンサートの1曲目がAKB48の「365日の紙飛行機」であった事も、中森明菜が松田聖子の「瑠璃色の地球」をカバーした時でさえも、びっくり度合いはこれを上回れません。

 

 

CSで直近に観たのはこの試合。

 

7分過ぎ、場外でハンセンのラリアットがテリーに炸裂してしまいます。

大人としてはかなり問題のある振る舞いでした(笑)

 

試合後、リングに駆けつけたジャンボは勿論の事、あの馬場さんでさえ-今風に言えば- 激おこ でした。また実況の倉持アナ*も「これは全日本プロレスのリング上だ!!」と叫びました。

 

*倉持隆夫アナウンサー:*僕はこの倉持アナのお孫さんと平成時代後期、そうとは知らぬまま巡り会ってから2年ほど経過したある日、プロレスの話題になった際「うちのお爺ちゃん知ってる?『マイクは死んでも離さない』の人だよ♪と言われ心底びっくりしました*史実*僕の人生びっくり100選の一つ)。

 

 

 

--- 問題 ---

四字熟語【孤軍奮闘】について

具体例を用いながら意味を説明しなさい。

 

 

解答例:1981年12月13日、全日本プロレス世界最強タッグ最終戦、対戦相手の一人であるブロディと親交が深く当時新日本プロレスで活躍その年の9月にはアンドレ・ザ・ジャイアントと死闘を繰り広げたかつ何とファンクス道場出身であるスタン・ハンセンがセコンドという立場でありながら場外にて、自身のタッグ・パートナーでありNWA世界ヘビー級王座にも就いた経験がある実弟テリーへ一撃必殺のウエスタン・ラリアットをお見舞い、以降場外にて悶絶、戦闘不能状態に陥る(よくある)。もともと体力的にも年齢的にも不利は否めなかった中、兄ドリーはそこから一人でブロディ、スヌーカの怒濤の攻撃を受ける事態へ。もうこれは無理だダメだと思っても不屈の精神・男のロマン(倉持アナより)でカウント3を取らせない。そして一方的にやられるだけではなくニークラッシャーから伝家の宝刀スピニング・トー・ホールドにてスヌーカを追い詰める場面も。つまり【孤軍奮闘】とは「誰の助けも得られない圧倒的に不利な状況においても、自身の力の続く限りは決してあきらめず勝利を目指し闘い続ける姿勢」のことである。 ※尚、フォールを跳ね返すドリーの動きに合わせ、自ら大きく跳ね飛んだブロディ、スヌーカの動きがドリーの孤軍奮闘ぶりを際立たせ観る者を身震いさせたのも付け加えておかねばならない。またテリーの戦意喪失(たまにある)も一役買っていた。それをいつもいつも受け入れるドリーは兄の鑑(かがみ)である。

 

 

採点:内容は申し分ないです。しかし1文が長くなってしまっています。その為主語が誰であるのかが曖昧となり理解し辛い文章になっています。内容が解答条件を満たしているだけにもったいないです。例えるならば、スピニング・トー・ホールドでドリーがスヌーカを追い詰めた場面に匹敵する程に、悔やまれてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・という事でようやく

天龍&ハンセン問題の解答へ。

 

 

【1】「お前が俺を辞めさせたんだ」に続く

ハンセンの言葉。

ハンセン 「何年か返せ(笑)」

 

 

 

 

【2】天龍「俺とテリーとスタンで組もうぜ」への

ハンセンの返答

ハンセン 「ドリーの方が適任だ(笑)」

 

 

 

 

ちなみにそのドリー。

天龍の引退ロード・ツアーに参戦してます!

試合しました!!!!!

参戦できなかったテリーの思いと共に(よくある)(笑)

 

 

 

ハンセンは闘うだけでなく

天龍とタッグも組みましたね。

 

 

天龍がメガネ・スーパーの出資で新団体SWSを立ち上げる前、ジャンボとの最後の一騎打ちの際、ハンセンは試合前乱入して天龍にウエスタン・ラリアットを炸裂させました。天龍が全日を離れるのをハンセンが怒っていると思った記憶があります。(天龍はバッシング受けまくってました)

 

 

 

1981年末、最強タッグ乱入後、

 

全日にハンセンが正式参戦して馬場さんと一騎打ちが決まった時、余裕でハンセンが勝つと思ってました。そしたら馬場さんは互角に、互角以上に闘って、馬場さんを - 大変失礼ながら- 見直しました。

 

 

ハンセンは猪木やアンドレやホーガン、馬場さん、ジャンボ、天龍、そして三沢とも戦いました。そういう戦績を持つハンセンと闘う三沢や川田がこれまた大好きでした。シビレマシタ。

 

 

 

 

あれ、おかしいな。

テリーについて書こうと思っていたんですが。

 

今日はこのくらいにしておきます。

幾つか事実に反する記載があったとしたら

ゴメンナサイ。

 

 

タイガー戸口、答えられましたか?

 

完読ありがとうございます!!うぃー