初めに念の為。

 

 

 

あの頃は まだ12才

何故か ふたりは仲良くて

放課後はいつも公園の

黄昏のなか くぐりぬけた

まだ子供だった時

 

 Jack is a boy / TULIP

 

放課後、時間割、席替え、お楽しみ会、文化祭、修学旅行、球技大会、マラソン大会、体育祭、部活動、、。 結婚も、帰り道も異動も、忘年会や新年会、余暇や余興、旅行では、なかなか代替が利かない(効かない)ところが郷愁というものなのでしょう。 

 

 

 

そうさ僕も17の頃

人生は無限だと思っていた

だからいくつかの出会いと別れも

じめじめしないで繰り返したよ

だけど君もいつか解る

もしも人生が無限なら意味はないと

 

終りがあるから生きる値打ちがある

終りがあるから夢を追い求める

終りがあるから心豊かになる

終りがあるから愛に全てをかける

 

終りがあるから人は手と手をとる

終りがあるから過去にやさしくなる

終りがあるから現在(いま)を大事にする

終りがあるから未来(あす)に全てをかける

 

17の頃 僕も人生は無限だと思っていた

 

17才の頃/古谷一行

作詞:市場馨 作曲・編曲:渡辺博也

 

17歳、高校生。希望に飢えて、明るい未来を渇望していた頃。僕は、非常に恵まれていてメデタイ世代に属していて、実体がなんだかよく解らない社会も応えて来てくれたような気がします。

 

そこから遥かに幾重にも季節を巡り巡って“終り” を身に染みて意識させられる経験も喰らいました。 この歌詞の伝えるところが深く実感できる年齢になりました。先人、先輩とは、凄いもんです。 ※若者からも学ぶときは多々あります。

 

 

 

 

おめでとう社会人だね

ここまで歩けた地図はもう要らない

心の中だけでは もう生きられない

予期せぬことが起こるよ 目の前で

 

人生は闘いだから 

ここは戦場だと 人は間違える

理想や夢が 壊されても

信じる人が ひとりいればいい

 

ユア・ベスト・フレンド/財津和夫

 

成人式。全然興味は無かった(笑)。 実感も無かったような気がします(-_-;) 成人式より、人生四度目の卒業式を終えた日、学生時代がいよいよ終焉を迎えてしまい、翌月から社会人になる・なってしまう・ならざるを得なくなった時の怖さならよく覚えています。この歌を聴いた時にはとっくに社会人でしたが、むしろ今の今、噛みしめたい句に溢れています。

 

 

思えば遠くへ来たもんだ 

故郷離れて六年目

思えば遠くへ来たもんだ 

この先どこまでゆくのやら

 

思えば遠くへ来たもんだ/海援隊

勤め出して、常に毎日、特に眠ろうとするその時、明日を気にする・思うようになりました。いろいろな物事と対峙するようになりました。たくさんの人と関わりました。いろんな考えや土地を知るようになりました。 距離的には、それほどそうでなくても“思えば遠くへ来たもんだ”と、しみじみ、自身を労いたくなる瞬間があります。 

 

九州や四国、青森から上京して初めての場所で、ひとり暮らしをして頑張っている学生のバイト君やバイトさんに「えらいね」と言っても「え?何がですか(笑)」と返答してくる、若さが、まあ、羨ましい限りです(笑) この先どこまでゆくのやら は本当にその通り。 全然予見できない道を歩んでいる。 流れゆくもの 無くしたものも 見ることは出来た 暗闇に突き進むなら そんな過去がいい 吉田拓郎「しのび逢い」)。

 

 

考えてみると今までの僕は

情熱と挫折のくりかえしだった

 

優しさも欲しいし冷たさも欲しい

手にしたものと

失くしたものが

いつも後ろめたさを連れてくる

 

この僕も年をとったみたいだ

汚れた窓には 僕がうつっていた

もうすぐこの僕も30才

でも僕のギターにはいつもヘビーゲージ

 

僕のギターにはいつもHeavy Gauge

/長渕剛

30歳はもう一人前の大人も大人、大の大人。…と30歳を捉えていたであろう子供の頃。いざ自分がその年齢になってみた時、「全然そんな大人でもない」、…友人と一緒に「まったくだよなぁ」と苦笑いしたことを思い出します。 

 

僕はギターは弾けないので、

「で、僕の手帳はいつも後悔と課題ばかり」。 

 

 

今もあの娘 長い髪のままかな

僕はほらネクタイしめて

僕が僕じゃないみたい

いつまでも忘れない

今でも目をこうして

閉じれば19のままさ

 

19のままさ/浜田省吾

 

十代の頃の感性や記憶は芯・軸になります。 仲違いしたわけではないけれども、もう決して逢うことのない人が大勢いるものです。今、どこで、どうしているんだろう。 反対に、思い出されることがあるとして、それはどの瞬間なんだろう。お互い確かめようもない日々、それが人生であります。 「若者よ、今を精一杯、大事に生きるといいですよ」と言ってしまう程、僕も老いました、恥知らず、お節介となりました。

 

ネクタイをするのにすっかり慣れました。クールビズ導入当初は「とんでもない、ありえない」と反発したのは遠い過去…いつの間にかにその期間が半年に及ぶようになったらなったで喜んだりと、、随分と心変わりもするもんです(笑)

 

 

過ぎ去った過去は断ち切ってしまえ

青春の長さ 測るものはない

身体より老けた心など持つな

流れゆく時に逆らって泳げ

自分の殻を突き破り

愚かな笑顔など見せるな

 

振り向いた昨日に恥じないように

仰ぎ見る明日に恥じないように

 

ついてくる世代に恥じないように

届かない世代に恥じないように

 

Rolling30 夢吹く風になれ

Rolling30 翔び立つ鳥になれ

 

ローリング30/吉田拓郎

 

30歳でもまだまだ成長の途上。人生の半分・真ん中あたりまで来てしまったのか、まだその手前なのかどうかも考える隙も無く、ひたすら毎日忙しかった。そんな自分を鼓舞してくれた曲だった。

 

*「拓郎さん、こういうの好きでしょ」と言って拓郎さんの要求に応えた松本隆による作詞です。

*こんなエピソードをどこかで読みました。違っていたらゴメンナサイ。

 

 

 

40回目の誕生日に

自分の頭を打ち抜く奴は

あまりに一途な理想と望みを

描き続けたそんな男さ

 

何を弾こうと何処へ行こうと

自由なんだぜ

 

MY OLD 50'S GUITAR/浜田省吾

 

「ああ、ついに40歳になってしまった」…これも感慨ぶる暇(いとま)も無く毎日が埋め尽くされていました。…でも、よくよく振り返ってみたら節目となった年でした。そうか40の時のことだったのか…。書いてみて気が付く事実が偶にあります。

 

  何を弾こうと何処へ行こうと自由なんだぜ

好きな歌詞です。ギターは弾けないけれども。

 

 

 

 

気がつきゃ45歳 仕事漬けの中年よ

会社会社ですりきれ すねもかじられてる

人生何色 空の色

運命お前に逆らう訳じゃないけれど

私の青春を返せ

輝くときめきを戻せ

捧げて尽くした 明日をさあよこせ

朝日のように現れて

夕日のように消えて行く

青春よ それじゃあんまりだぜ

 

45歳の地図/爆風スランプ

 

「地図なら尾崎だろ」と行きたかったところではありますが(十七歳の地図/尾崎豊)(笑) 会場やカラオケで♪私の青春を返せ~とそんな気持ちは露もないままノリノリでバブルの頃に歌っていた僕たち世代は、この年齢を通過してしまいました。 それくらいに日々は忙しい、凄まじい。 

 

この歌詞のリズムの良さと歌詞全体随所に散りばめた対句は本当にお見事。 創作による脚色はありますが、生活感が、結構、秀逸(笑)

学生時代を色濃く思い出させてくれる

爆風スランプ。

 

 

 

続けざまに苦しそうなせきばらいをしてた
西新宿の飲み屋の親父が昨日死んだ
「俺の命もそろそろかな」って
吸っちゃいけねえ タバコふかし
「日本も今じゃクラゲになっちまった」って

笑ってた

 

 

銭にならねえ歌を唄ってた俺に 

親父はいつも
しわがれ声で俺を怒鳴ってた
錆ついた包丁研ぎ とれたての鯛をさばき
「出世払いでいいからとっとと食え」って

言ってた


「やるなら今しかねえ やるなら今しかねえ」
66の親父の口癖は「やるなら今しかねえ」


古いか新しいかなんて

まぬけな者たちの言い草だった
俺か俺じゃねえかで ただ命がけだった

酒の飲めない俺に

無理矢理とっくりかたむけて
「男なら髪の毛ぐらい短く切れよ」って

また怒鳴った


西新宿の飲み屋の親父に

別れを告げて
俺は通い慣れた路地を

いつもよりゆっくり歩いてる
すすけた畳屋の

割れたガラスにうつっていた
暮らしにまみれた俺が一人うつっていた


「やるなら今しかねえ やるなら今しかねえ」
66の親父の口癖は「やるなら今しかねえ」

 

西新宿の親父の唄/長渕剛

 

「頼むから原曲の通りに歌って貰えないものか」と折々で僕が望んだ(笑) 長渕剛自身が=もうすぐこの僕も30才 と歌った青年/若者が、来年!? この年齢(66)になる。併せて僕も歳を重ねた。 古いか新しいか、ではなく、自分であるか否かは大事だった。

 

それを追いかけて、やがてやがてやがて、この僕もこの年齢に達する、…日まで(その日以降も、まあ)元気で居られたらと思う。 死ぬのは本当に怖くなった。悟れない。怖くて悪いか?ダメなのか?

悪くもないしダメでもない。

 

 

ここからは今までより ずっと早そうな時間 

だけど僕は まだ僕は ダメになりはしないさ

 NO PAIN NO GAIN/CHAGE&ASKA *表記は発表時 

更に激しく加速していくのか…

それとも緩やかに穏やかに流れていくのか…。

 

 

今から20年後に

もう一度会ったなら

僕は何をしてるだろう

どうやって暮らしてるだろう

 

他にできることもなし

この齢になってるから

じっとベンチで暮らしてる

それより他ないだろうか

 

人生は長過ぎて僕の手に負えない

生意気な若い日の

ツケが回ってくるのか

 

「ミュージシャン

さみしいことを言わないで」

「ミュージシャン

長生きは辛いことじゃないはずよ」

 

ミュージシャン/中島みゆき

 

 

早々と としをとるのはステキなことです(「傾斜」) と歌い諭してくれたみゆきさん。 

 

生意気だった若い日 は、時にしっぺ返し、時に生意気の底のわずかな負けん気が利息として返ってきたことも、、、まあ、あります。けれども忘れられない、忘れちゃならない負けがあるから、勝ち越しや勝率に自身で価値を見い出してはならない。

 

満足の手前の納得が常。

 

 

 

 

 

 

 

本稿で挙げた歌は -財津さんの「ユア・ベスト・フレンド」、NO PAIN NO GAIN/CHAGE&ASKAを除いて- 社会人になる前に初めて聴いていて、今日まで、耳に胸に残って来た(居る)曲。 

 

その作り手、歌い手と直接言葉を交わしたことは無いけれども、それらは確かな道標。 

 

 

 

 

 

ここまでありがとうございました。

2222picnic