「仙台街中散歩 猫伝説と猫塚」
 若林区連坊にある栽松(さいしよう)院という寺は、伊達政宗の祖父晴宗の夫人久保姫(栽松院)の位牌寺です。政宗は栽松院が亡くなった時に住んでいた根白石に寺を建てたのですが、城下から遠いことから、慶長6年(1601年)に栽松院を創建して位牌を納めたとのことです。境内には推定樹齢千年のシラカシの木があり、政宗はこの高くそびえる樫の木が気に入り、寺の地を決めたといいます。なお、仙台の地名の起源となった千躰仏を納めた千仏閣がある寺としても知られています。ところで、この寺の山門を入って左脇の松の木の下にかなり大きな木の葉型の石碑があり、上部には「猫塚」の二字が、その下には首輪をかけた猫の像が刻まれ、猫の像の右脇には猫の名であろうと思われる「清女」という二字が刻まれています。この石碑の建立当時は、猫の目には金箔、首輪には朱が挿(さ)されて、とても豪華な碑だったともいいます。左にも小さな石碑が並んでいて、この石にも猫が線刻されてます。「猫塚」の石碑については、次のような猫にまつわる話が伝えられています。『昔、川内追廻川前九軒丁に馬乗役の草刈昌之丞という侍が住んでいました。昌之丞は一匹の猫を飼って可愛がっていました。その猫が、隣屋敷の片倉家で飼われていた鶏を食い殺し、それを見咎められ数名の若い衆によって散々棒で打ち据えられましたが、それでも性懲りなしに再度鶏を食らってしまいました。これを怒った片倉家の家士が、ある日塀の上で日向ぼっこをしているこの猫を鉄砲で撃ち殺してしまいました。片倉家は片倉小十郎という伊達家きっての重臣でしたので、昌之丞は抗議することもできず、この愛猫のためにひっそりと猫塚を建て、手厚く弔ったそうです。』昔は、この寺の歴代の住持も片倉家に遠慮し、猫塚の由来を問われても答えないならわしであったといいます。この猫が自らを殺した身分ある屋敷の主に祟(たた)りをなしたとも伝えられていて、石碑が建てられた背景には猫の祟りが元になったのではという説もあります。
 さて、猫塚といえば、若林区南小泉にも猫塚があります。猫塚古墳という名の古墳で、直径7~8mほどの円墳状で、前方後円墳の後円部であるとも言われています。早くに破壊され、遺物はなく、古墳としては詳しいことはわかっていません。跡地には伊達政宗が建てた「若林城」の名を遺そうと命名された少林(わかばやし)神社が建っています。「猫塚神社」という石祠が祀られていることから、猫塚神社とも呼ばれています。古墳や神社に「猫塚」という名が付いているのは、猫にまつわる伝説からとられたといい、この地にも次のような猫にまつわる話が伝えられています。『仙台城下の武士の奥方が、一匹の猫をたいそう可愛がっていました。しかし、この猫が、あるときから奥方につきまとい、厠(かわや)に行くときにも離れず、厠では奇妙なうなり声さえあげるようになりました。家人らは次第にこれを気味悪く思うようになりました。ある日のこと、この家の殿様が、たまりかねてこの猫の首を刎(は)ねてしまいました。すると猫の首は、厠の天井裏に飛び込み、天井裏で壮絶な争う物音がしました。物音が静まった後にこの家の主が天井裏を見てみると、大きな蛇が死んでおり、その鎌首にこの家の猫の首が食らい付いていました。猫は奥方を蛇から守ろうとして危険を知らせようとしていたのでした。殿様は自分が過って猫を斬ってしまったことに気がつき、殿様と奥方は、猫を殺してしまったことを悔い、猫を手厚く葬って塚を築いたといいます。』なお、猫塚古墳のすぐ近くには蛇の骸(むくろ)を埋めたという蛇塚古墳という名の古墳もあります。また、猫塚神社では、毎年「ねこまつり」が、開催されています。現在では全国の猫好きに知られていて、猫好きの人々が全国から1000人を超えて集まるそうです。