「鶏伝説・八幡町の鶏橋と宗禅寺の鶏の墓」
 太崎八幡神社近くの青葉区八幡5丁目の県道に鶏のレリーフが飾られた鶏橋という橋があります。橋の下を流れる水路は鶏沢といいます。この鶏橋と鶏沢という名前の由来には、次のような伝説があります。『昔、金色に輝く美しい鶏が夜な夜なこの橋の欄干にとまって、高々と鳴いてはどこかへ飛び去っていきました。町の人たちは、それを何か悪い前兆ではないかと噂しました。ちょうどその頃、八幡神社に見事な鶏の絵馬が奉納されていて、ある夜不吉な前兆を気にした町の人が八幡神社にお参りにいくと、その絵馬から一羽の鶏が抜け出して橋の方へ飛んでいくのを見ました。その人は、鶏はこれだったかと思い、金網を持ってきて鶏の絵馬に貼りました。すると、その夜から鶏は現れなくなりました。しかし、その数日後から大雨が降り続き、やがて大洪水となり、町を大いに荒らしました。人々は、鶏は八幡様の化身で、洪水を知らせようとしていたのだと知り、警告を無視したことを反省し、橋と沢に鶏の名前をつけて後世の戒めにした。』というものです。
  また、宮沢橋近くの太白区根岸町の広瀬川沿いにある宗禅寺に「鶏塚」とも呼ばれる鶏の墓があります。ここにも次のような伝説があります。『寛文13年(1661年)、宗禅寺の住職は不思議な夢を見ました。ずぶ濡れの鶏が現れて「私は檀家の庄子某宅で飼われていた鶏ですが、一緒に飼われている猫が一家を殺そうと企んでいるので、三日三晩鳴き続け主人に知らせようとしましたが、主人は夜鳴きする鶏を不吉だと私を殺して広瀬川に投げ捨ててしまいました。屍(しかばね)は宗禅寺の崖下の杭に引っかかっています。どうか主人達の命を救いたいので、朝飯の前に行ってこのことを伝えて下さい。」というのです。住職が川へ行くと鶏の死骸が引っかかっていました。慌てて庄子某の家を訪ねると、これから朝飯を食べようとしていたところでした。住職が夢の話をしている時、汁鍋の蓋が開けられていて、一匹の猫が何気ないそぶりで鍋を飛び越しました。住職は、猫が尻尾を鍋の中につけるのを見ました。その場を離れた猫を追って住職が竹藪に入ると、猫が竹の切り株に尻尾を入れると、また家へ向かって行きました。怪しんで切り株の中を覗くと、そこには蜥蜴や虫が腐って毒液となっていました。全てを理解した住職は仔(し)細(さい)を庄子に伝え、庄子は鶏を殺したことを大いに悔いて、鶏の亡(な)骸(きがら)を懇(ねんご)ろに弔いました。』というものです。
 日本では昔から、鶏が鳴いて朝を告げることは縁起のいいことで、対して、夜が明けていないにもかかわらずに鶏が鳴くことは縁起が悪いとされていました。鶏は神様の使いともいわれ、神社に鶏を描いた絵馬や生きている鶏を奉納したりします。神社によっては、境内に鶏を放したりもします。日本の神話では、古事記や日本書紀の中の天(あまの)岩(いわ)戸(と)の話に鶏が登場します。「天照(アマテラス)大御神が天の岩屋戸に隠れ,世界がことごとく闇になったとき、八(や)百(お)万(よろず)の神々が額を集めて話し合った結果、「常(とこ)世(よ)の長鳴鳥(ながなきどり)」という異名もある鶏を一列に並べてその長い美声で鳴かせ、さらに、天鈿女(あめのうずめ)命に舞わせて、アマテラスを誘い出す作戦がとられました。作戦は成功し、世の中が再び明るく平和な時代に戻りました。」この話は鶏が早朝に鳴き声を上げて太陽を呼び起こすことを再現したものと考えられます。以後、鶏はアマテラスの使いと呼ばれるようになりました。また、神社の鳥居の起源は、天照大御神が天(あまの)岩(いわ)戸(と)に隠れた際に八(や)百(お)万(よろず)の神々が鳴かせた鶏の止まり木であるともいわれています。ところで、ニワタリ神という神様を祀(まつ)るニワタリ神社という名の神社が全国に100社以上あります。漢字では二渡・荷渡・庭渡・二羽渡・仁和多利・新渡など様々な漢字があてられていますが、この「ニワタリ」とは、神の使いである鶏を指しているとも考えられています。