読み解きの資料になるかわかりませんが補足します看板持ち

下矢印左上が「ネの国」です。

ちょうど、今年の元旦に起きた能登地震の場所なのです。

ほつまつたゑの物語の中では、イサナギ、ソサノヲ、モチコ、ハヤコ、豊受大神と縁深いところです。ヒルコ姫(ワカヒメ=イサナギとイザナミの子。天照大神とソサノヲの姉)も天安河と兼任でこのネの国を治めています。


8章ではシラビトが益人(役人)がネの国の管轄です。

下矢印地図の上一帯が「細矛•千足」でちょうど島根県、出雲のあたりです。
こちらはカンサヒ(神狭日命、豊受大神の子、ヤソキネの弟。ヤソキネとイサナミはきょうだい関係)が益人になっている地域で、このカンサヒの弟子に八章で登場したコクミ、そして魂返しで活躍したツワモノヌシ(兵主命=ココトムスビ)がいます。


イザナギの弟である穢のないクラキネはこのシラビト、コクミに騙されてしまいました。


その事に対して一番最初に立ち上がったのが兵主命(豊受大神の孫)でした。

※八章で「魂返し」を実行


今月末はどの神社でも「大祓」が行われ1年の罪穢れを取り払ってもらいますが、その「大祓祝詞」の中に書いてある内容とほつまつたゑの第六章〜七章が直結しています。


ネ(北)とは非常に奥深いのです。

ソサノヲがネの国に行くように命じられたのも、もしかしたら「魂返し」の仕組みと関係しているかもしれません。(罪穢れを祓い清めてアメミヲヤ(創造神)のもとへ還るるために死→生を経て現世へ生まれ変わり、輪廻して魂を清めるために生きる(徳を積む)ことで次はアメミヲヤに還ることが出来る)しくみ。



地図を見ると「ネ」の下に「コエ」があります。

ほつまつたゑの中には「ネコエ」という言葉が何回かでてきます。

フトマニ図の中には「アイフヘモヲスシ」という「天並神(アナレカミ 八神)」が坐していてお腹の中に魂が宿ってから人の形が出来上がるにあたりこの天並神が人のネコエ=キツオサネ(東西中南北)や五臓六腑(臓腑•血•肉•骨)などを管轄しているといいます。


日本列島もそうやって考えるとフトマニ図の天並神(アイフヘモヲスシ)と対応しているのかもしれませんね。


下矢印フトマニ図なのですが、手抜きしすぎて雑すぎてほんとすみませんアセアセアセアセ


トホカミヱヒタメの上半分が「ト」を抜くと「ヒタカミ」になっているのがわかりますか?
上下は「ヱト=干支」と考えて「ト」は抜きます。
すると左右対称にヒタカミと読むことができます。
「ホ=火」「メ=水」だと私は思うんですよね。

(以前は「ヒ=霊」「ミ=身」だと考えたこともありました。どちらも母音がイです。イ=「風•••目に見えないもの」)
そうすると「カ」と「タ」は地平線とか天地の境目となるのでしょうか?推測にしかすぎませんが。(母音はア=「空•••易に例えると天」)
「ヒ」→「タ」は太陽が地平線に向かって沈み、「タ」→「カ」は夜、「カ」は地平線から太陽(光)が現れ、「カ」→「ミ」太陽が昇り「ト(光が一番強い)」を通過して「ヒ」に至る、、、

日高見とは「光」の事ではないでしょうか?豊受大神は神上がりし日高見にお祀りされたとあります。

「光」とはこの世の昼夜等の実際目で見る物質的な光のことではなく、霊的、神的な輝きかもしれません。
そう考えると干支の陰陽は逆になるという考え方です。(※天地人の人である私たちが地上を見下ろした時の方角と天を見上げた空の方角が鏡写しになって逆になるように、この世とあの世も鏡写しのように逆になるという捉え方)

本当は太陽の物質的な光でもあるかもしれませんし、両方かもしれません。

これらはあくまでも私の想像です。

これがまさに「胎蔵曼荼羅」に見えて仕方がないのですがアセアセ

そして、「モチコとハヤコ」についてですが。


モチコとハヤコというのは、上記に書いたイサナギの弟クラキネの益姫と小益姫、とあります。


天照大神の宮殿(富士山のあたり)に、暦をなぞらえて東西南北に后を配置しました。


その中で北の内后であったのがモチコとハヤコでした。


東は瀬織津姫(サクラウチの子)、南は速開津姫(カナサキの子。※カナサキは八章でハタレ征伐の中心になる神様です)、西は織機サオコ(宗像神。※宗像大社(中津宮の大島)では七夕祭りが有名です。)


後に、暦を月の運行を基準とし、后が12人になったことで后の配置も変わり、瀬織津姫はその時に天照大神の后になりました。


その事がのちのち、モチコとハヤコの心のひきつりを生み八章のハタレ征伐まで発展していきます。


大祓祝詞の最後の方には「もち」「はや」という言葉が繰り返しでてきます。


ちょっとむずかしかったですねアセアセ


大祓詞


高天原たかまのはら神留かむづます すめらがむつかむ かむみことちて 萬󠄄神よろづのかみたちかむつどへにつどたまひ かむはかりにはかたまひて すめまのみことは 豐葦󠄂とよあしはらの水穗國みづほのくにを 安國やすくに平󠄁たひらけくろし食󠄁せと ことさしまつりき さしまつりし國中くぬちに 荒󠄄あら神等かみたちをば かむはしにはしたまひ 神掃かむはらひにはらたまひて ことひし磐根いはね 樹根きねたち 草󠄂くさかき葉󠄂をもことめて あめ磐座放いはくらはなち あめ八重やへぐもを 伊頭いつ千別ちわきに千別ちわきて 天降あまくださしまつりき さしまつりし四方よも國中くになかと おほやまと高見國だかみのくに安國やすくにさだまつりて した磐根いはねみやばしらふとて 高天原たかまのはら千木ちぎたかりて すめまのみことみづ殿あらかつかまつりて あめかげ かげかくして 安國やすくに平󠄁たひらけくろし食󠄁さむ國中くぬちでむあめ益人ますひとが 過󠄁あやまをかしけむ種種くさぐさ罪事つみごとは あまつみ くにつみ 許許太久ここだくつみでむ でば あま宮事みやごとちて あま金木かなぎもとり すゑちて くら置座おきくららはして あま菅麻󠄁すがそもとち すゑりて 八針やはりきて あま祝詞のりとふと祝詞のりとごと

らば あまかみあめ磐門いはとひらきて あめ八重やへぐも伊頭いつ千別ちわきに千別ちわきて こし食󠄁さむ くにかみ高山たかやますゑ 短山ひきやますゑのぼして 高山たかやま伊褒理いほり 短山ひきやま伊褒理いほりけてこし食󠄁さむ こし食󠄁してば つみつみらじと しなかぜあめ八重やへぐもはなことごとく 朝󠄁あしたぎり ゆふべぎりを 朝󠄁風あさかぜ 夕風ゆふかぜはらことごとく おほ津邊つべ大船おほふねを 舳解へとはなち ともはなちて 大海原おほうなばらはなことごとく 彼方をちかたしげもとを 燒鎌󠄁やきがま鎌󠄁がまちて はらことごとく 遺󠄁のこつみらじと はらたまきよたまことを 高山たかやますゑ 短山ひきやますゑより 佐久那󠄁太理さくなだり多岐たぎつ 速󠄁川はやかはおり津比賣つひめかみ 大海原おほうなばらでなむ なば 荒󠄄潮󠄀あらしほ潮󠄀しほ八百道󠄁やほぢ潮󠄀道󠄁しほぢ潮󠄀しほ八百やほあひ速󠄁開はやあき都比賣つひめかみ 加加呑かかのみてむ 加加呑かかのみてば ぶきぶきぬしかみ 根國ねのくに 底國そこのくにはなちてむ はなちてば 根國ねのくに 底國そこのくに速󠄁はや佐須良比賣さすらひめかみ 佐須良さすらうしなひてむ 佐須良さすらうしなひてば つみつみらじと はらたまきよたまことを あまかみ くにかみ 八百やほ萬󠄄よろづの神等共かみたちともに こし食󠄁せとまを


Wikipediaよりお借りしました