夜、トイレに立った三浦が、部屋に戻って来て曰く、
「綾子、水道はありがたいねえ。栓をひねるだけで水が出るのだからねえ」
三浦は蛇口をひねる度、いつもこう思うのだそうだ。そして神に感謝を捧げるのだそうだ。
開拓農家に育った三浦は、少年時代遠くの川まで水汲みに行ったとか。そのことを覚えていて、水道への感謝を忘れたことがないらしい。
また三浦は、入浴する度に、これまたその都度、神に感謝しているという。
三浦綾子『北国日記』小学館
ホテルでは入浴もした。浴室に入った時の驚きも大きかった。何と蛇口をひねっただけで、豊かな湯がほとばしるのだ。
一点の汚点もない壁、清潔なタイルの床……私は思わず、
「神さま、神さま、わたしが何をしたからといって、こんなよい目に遭わせてくださるのですか」
と祈った。感動のあまり涙が出た。私の家には風呂がなかった。私たちはすぐ近くの銭湯で入浴していた。まさかこんなに心地のよい浴室が、一室毎についている世界があろうとは夢にも思わなかった。私はこの贅沢に馴れてはいけないと思った。「初心忘るべからず」神を畏れねばならないと思った。
三浦綾子『命ある限り』小学館