般若心経の現代語訳 

観自在菩薩が、かつて般若波羅蜜を実践された時、物質も精神も、すべてがであることを照見されて、一切の苦厄を克服された。



舎利子よ、あらゆる物質的存在は「空」にほかならず、「空」がそのまま物質的存在にほかならない。物質的存在がすなわち「空」、「空」がすなわち物質的存在なのだ。知ったり、感じたり、判断したり、意欲したりするわれわれの精神作用も、これまた同じく「空」である。

 

舎利子よ、すべての存在が「空」であるが故に、生滅もなく、浄不浄もなく、また増減もない。したがって、「空」のうちには物質的存在も精神作用もなく、感覚器官もなければ、対象世界もない。そして、感覚器官とその対象との接触によって生じる認識だってない。人間の根源的な無智迷妄がなく、また無智迷妄が消滅するわけでもない。そして、老死という苦しみもなく、老死という苦しみが消滅するわけでもない。小乗仏教で説かれてきた「四つの真理」もなく、智もなければ得もない。もともと得るということがないからである。



菩薩たちは、般若波羅蜜を実践しているので、その心はなにものにも執着せず、またわだかまりがない。わだかまりがないから、恐怖もないし、事物をさかさまに捉えることもなく、妄想に悩まされることもなく、心は徹底して平安である。過去・現在・未来の三世にまします諸仏たちも、般若波羅蜜を実践されて、この上ない正しい完全な悟りを得られたのだ。

 

だから、このように言うことができよう。般若波羅蜜というのは、すばらしい霊力のある言葉、すなわち真言であり、すぐれた真言、無上の真言、無比の真言である、と。それはあらゆる苦しみを消滅させてくれる。じつに真実にして虚ならざるものである。そこで、般若波羅蜜の真言を説く。すなわち、これが真言である。



往き、往きて、彼岸に達せる者よ。まったき彼岸に達せる者よ。悟りあれ、幸あれ。



以上が般若心経である。




ひろさちや

『[新訳]般若心経』PHP研究所

〈この本のサイト〉




一般的な解釈は

「空」=「実体がないということ」

「空」とは何でしょうか?それを説明し始めると、それだけで数冊の本になってしまいます。だから、それは追い追い解説することにして、差し当たり、



――「空」とは実体がないということ――



だと思ってください。たとえば、わたしたちは不安になることがあります。けれども、不安には実体がありません。実体のないものをわたしたちがあれこれ妄想して膨らませ、それに怯えているのです。




ひろさちや『[新訳]般若心経』PHP研究所




目からうろこ

「空」=「神さま

ワンネスから分離してきた意味


そのころのレムリアの人たちは、自己他者といった概念が希薄で、もともと一つの創造 者、つまり「神」もしくは「創造の根源」「空」であったということに非常に強いリアリティーを持っていました。ですから、「神」や「空」は特別なものであるという感覚ではなく、誰にでも内在する高次の意識だと理解していました。



もともと一つしかなかったものが、わざわざ分離するには理由があります。それは「空」と言われる創造の根源に無限に潜在する可能性を知るという大きな目的のためです。だからこそ、一人ひとりが違った可能性を探求しようとしています。何しろ可能性は無限にあるのですから、分担しなければ遅々として進みません。



ですから、一人ひとり違った性質を持ってこの世界に生まれてきた「空」の化身、それを言い換えると「神」です。




サアラ『宇宙と神様の真実』大和出版




これを

さっきの般若心経に

あてはめてみると



観自在菩薩が、かつて般若波羅蜜を実践された時、物質も精神も、すべてが神さまであることを照見されて、一切の苦厄を克服された。



舎利子よ、あらゆる物質的存在は「神さま」にほかならず、「神さま」がそのまま物質的存在にほかならない。物質的存在がすなわち「神さま」、「神さま」がすなわち物質的存在なのだ。知ったり、感じたり、判断したり、意欲したりするわれわれの精神作用も、これまた同じく「神さまのなさること」である。



舎利子よ、すべての存在が「神さま」であるが故に、生滅もなく、浄不浄もなく、また増減もない。したがって、「神さま」のうちには物質的存在も精神作用もなく、感覚器官もなければ、対象世界もない。そして、感覚器官とその対象との接触によって生じる認識だってない。人間の根源的な無智迷妄がなく、また無智迷妄が消滅するわけでもない。そして、老死という苦しみもなく、老死という苦しみが消滅するわけでもない。小乗仏教で説かれてきた「四つの真理」もなく、智もなければ得もない。もともと得るということがないからである。



すごくわかりやすくなった☀





どんな人に会っても、「この人はひょっとしたら観音さまかもしれない」と思ってみる。そうすれば、いい加減な付き合い方はできないというものです。腹も立たないというものです。 



どんな人でも拝むように、大事にお付き合いをする



瀬戸内寂聴『寂聴仏教塾』集英社







「空」=「魂」

私たちは、

肉体が自分自身だと思っていますが、

本体である魂は、

同時に多次元に住んでいます。




いっぷくからのありがとう

「神々が望むもの」

24/01/25




私たちが今この世に生きているというのは、魂が「体」という着ぐるみを着ている状態です 。




小林正観『宇宙を解説 百言葉』

イースト・プレス




人間はコンピュータを内蔵した着ぐるみを着たようなもの




矢作直樹『人は死なない』バジリコ





もしかしたら

空也もそう思ってたのかな


「われは空也(神さまなり)」

「みんな空也(神さまなり)」

あたまのなかで整理するため改行色づけ