~段階的脱薬物の精神医療時代を~



 現在、精神医療の分野においては薬物を用いた治療が盛んに行われています。これは、患者に対して簡単に、精神的に作用させる薬を処方するというものです。


 現状、多くのうつ病をはじめとする心の病の人々は無造作に薬を飲んでいます。医者、患者ともにそれが当たり前といわんばかりに。


 現代に生きる人々は、日本のみならず世界中、このような状況に疑問を持たない人が多数派であると思います。世界的にみると日本は精神医療分野での薬物処方量が多すぎる、とWHO(世界保健機関)から指摘を受けています。


 これは一部の入院患者に対して一日の限界摂取量を超えた薬物投与が行われている事の反映です。また、通院患者にも風邪薬を出す事と同様の感覚で精神薬が出されている事も指し示しています。


 しかし、多くの患者は薬を飲む事を歓迎しているようには思えません。心の病とされる多くの人々は、むしろ会話を通した心の治療を望んでいるのではないでしょうか。


 現在、カウンセリングには健康保険が適用されていません。このためカウンセリングを受けようとすると多額の費用がかかってしまいます。その為に、臨床心理士などの資格をもった人達に相談しようと思っても金銭的な余裕のある人たちだけに限られてしまいます。


 国は予算を組み、カウンセリングに健康保険を適用させるべきだと思います。


 多くの人達が気軽にカウンセリングが受けれるような体制づくりが必要です。


 それによって、心の病とされる人達は薬を飲んで病気に対処するか、薬を飲まずに対処するかの選択権が獲得できるのです。


 精神的な薬がどの程度、効果をもたらすのか。また、どの程度、弊害的な作用を及ぼしているのか。実際のところは患者さんたちの自由な選択のもとに客観的に検証してみる事が一番分かりやすいはずです。


 そのためにも、薬を飲む、飲まないの選択の自由が患者側には必要なのです。


 もっとも、現状の体制でも心の病を抱える人が薬を飲まないという選択をする事は出来ます。


 しかしながら、病院へ行き、医者に病名をつけられ薬を出されてしまうと、ほとんどの人は薬物治療のレールに乗ってしまいます。


 長い歴史の上で、その時代の医療行為が部分的に適切ではないという事は、たまに起きる現象です。


 ことさら、心の問題を医療の分野が積極的に扱うようになったのは比較的、近年の事なのです。


 科学的な根拠という、うたい文句の名のもとに精神医療は薬物治療を行っています。しかし、脳内の神経伝達物質の変容が心の治療である事を“科学的な根拠”といえるのでしょうか。


 精神医療の現場は少ない医者に対して多くの患者が押し寄せ、混迷を極めています。


 心にあらゆる悩みを抱えた方々が薬を飲み、症状が改善しない事に一番気付いているは医者のほうかもしれません。患者が薬を飲み、起きる現象は精神活動と肉体活動の質の低下です。


 薬を飲まないと自殺をしてしまうから飲んだ方がいい、という呼びかけはおかしなものです。


 自殺と薬は、何の関係もありません。飲んだから自殺をしないのか。いやいや、飲んだ方が自分の状態に絶望して自殺をしてしまうのか。比べてもいないのに断定なんか出来るはずないんです。



 そもそも、自殺は人生に絶望した結果に起きる行動です。自殺に対処する“心の薬”は希望です。



 薬を飲んで自殺を思いとどまる人がいるならば、薬にすがる気持ちがわずかな希望の光になっているからであり、薬自体には効果が無いでしょう。



 心は心です。脳は心の働く“場”なのです。つまり、脳がそっくりそのまま心という訳では無いのです。

 まずは、国が予算を計上してカウンセリングに保険を適用させる事です。



 精神医療の分野を担う人達は薬物治療のみに固執することなく、柔軟な姿勢で心の問題に取り組むべきです。人類史上、医療が心の病を扱う事は難事中の難事です。



 不可思議に満ちた心の分野に対応するには、謙虚な姿勢が何より大事です。



 医療を行う側にいるからといって謙虚な姿勢を失えば、自分も他人も苦しむ事になるでしょう。



 医療は人の為にあります。政治も人の為にあります。



 何が本当に人の為になるのか。



 カウンセリング保険適用時代へ向け、舵をきる英断を強く望んでやみません。