当ブログで初めて「名言シリーズ」をテーマにした時、自分はいくつかの名言を書き連ねた後、末尾に「 名言、格言というのは、普通はいつの時代でも人々を納得させる普遍的なものとされる。しかし、時代とともに価値観が変わっていく中では、名言が絶対普遍的なものとは限らない。なので自分が取りあげた名言の中にも揺らぐ名言が出てくる可能性はある」と書いた。これが2年と半年前の2021年6月のことだ。この2021年6月から今回書いている2023年12月上旬現在まで自分的には生活が大きく変わっていないと思うし、世間的・時代的にも大きく変わっていないと思うのだが、過去に書いた名言の大幅な修正が必要だと思っている。「揺らぐ名言が出てくる可能性はある」揺らぐどころか名言の内容が180°変わると言っていい。名言が失言に変わるとも言える。やはり名言は普遍的なものじゃない。これは、「時代とともに価値観が変わる」というよりも、名言は所詮人間が発した言葉だから(自分の発した言葉も含めて)確固たるものにはならないということである。この2年と半年という年月の間で「自分的には生活が大きく変わっていないと思う」と書いたが、殊、自分の中でものの見方が大きく変わったのは確かである。その原因は、コロナ禍の馬鹿騒動にあると思う(コロナ禍については、当ブログでも自分の見解をいくつか書き連ねているので(書き殴っていると言っていい)そちらも参照していただきたい)。人災であり、4年経ってもいまだ日本でだけ続くコロナ禍の馬鹿騒動はそんなわけで社会や政治といった広義なスケールのものから各人の生活や考え方といった個人的な領域まで甚大に、見るも悲惨に変えた。この悲惨な変化に頓着がない人間は極めて鈍感か平和ボケした人間であるか、コロナ騒動が終わると都合が悪い人間だろう。ということで今回の名言シリーズは今まで書いた名言(名言シリーズ1~9)の大幅修正・改定である。

 

 

 

 

「生物学的には男のほうが女より高等な生き物である」by 自分 ・・・・・女は下等動物だと思う。勿論、すべての女ではない。殊に日本女性の場合は、現在(いま)は質、性格ともに優れている女は稀だ。自分は現在のコロナ時代において日本人女性が全世界の女性の中で特に性格が最低、最悪だと思っている。総じて日本人女性ほど性格が汚れ切った女性は世界を見渡してもそうそうないと思っている。特に女性の場合、男性よりも群れることを好み、一匹狼というのはなかなか成り立たないから女から女へとどんどん伝染し似たようなクローン女が増殖していくのだ。質、性格ともに優れている女性は稀だ。少数派はいつの時代も市井に埋もれる。そんな日本人女性の性格の悪さや汚さがコロナ禍によって露呈してしまった。顔を隠したいなどというクソな理由で女どもが皆一様にマスクののっぺらぼうになってしまうといったことはいい例だ。女のほうがマスコミや医者といった者に洗脳されやすいというのもある。かくて日本では外を歩けば、辺りを見渡せばマスクをした口裂け女どもが街を闊歩するという世紀末の時代となってしまった。この名言は、過去の名言シリーズで「生物学的には女のほうが男より高等な生き物である」

・・・・・by 自分の見解、と記したものと真逆のものである。自分はこの名言の中で「但し美人に限る。 かわいいは正義、美人は正義、つまりそういうこと。 」と記した。これについても修正しなければならない。日本人の場合、美人でも性悪で心根が汚い人間は山ほどいる(これを性格ブスという)。世界を見渡した時、確かに性悪な女、ビッチは世界のどこでも存在する。だが昨今その比率は日本人女性が最も高いと思うのだ。多くの世の男性は多かれ少なかれこのことに心当たりがあると思う。自分は結婚したことがないからわからないが、結婚なんて実際は当初はお互いの本当のところなんていうのはわからないのかもしれない。このことは昨今の日本における離婚率が高いことが如実に証明している。離婚した夫婦あるいは離婚の危機に瀕している夫婦、あるいは結婚前の破局を拝見するに、男側の女側に対する恨み節~一緒になってしまったことへの後悔の念または積年の怨みのほうが圧倒的に多い感があるのだ。個人的にも、ロクでもない女に引っかかってしまった男は何人か知っている。かわいそうに。自分の場合、過去に姓名判断で「女運がない」と判断されたことがある。姓名判断の類にも信用できるもの、インチキまがいのものとあるだろうが、その姓名判断は自分の性格と照らし合わせてみて気味が悪いほど自分の性格や行動の数々がズバリ当たっていた。自分以外の人たちもこの姓名判断を行い、こちらもおそろしいほど各自の性格を言い当てていた。姓名判断は、一部の占いに見られるようなまやかしではなく、統計学であるため事実を言い当て、信用に足るものである(勿論、インチキの姓名判断もあるが)。そんなわけで自分には女運がない。このことは、今まで日本の馬鹿な女やロクでもない女に引っかからなかったということで自分は他の男よりも比較的いい境遇にあるということで幸福であると思うべきなのだろう、ということを最近とみに感じている。

これに関連することだが、昨年のコロナウイルスの感染法上の分類が5類に移行した以降、徐々に数人がマスクを外し始めたが、その比率は女よりも男の方が多いと思う。ここでひとつの疑問が頭をもたげてくる。「なぜ世の男たちは女たちのマスクの異常さ、奇妙さを指摘しないのか?」ということである。現在、感染対策でマスクをしている人間は極少数と類推する。自分には信じられないことだが「人に顔を見られたくないから」が理由の多くを占める様である。これは自分の身近な人に実際聞いた話なので間違いない。このことを異常と思わない人間とはもはや話すことはない。果たして、なぜ男たちは、社会は、この異常さを問題にしないのか?

上に書いた多くの男たちの女に対する恨み節に関連して、世の多くの男たちは「そんな女なんか放っておこう」と思っているのではないかと思う。それはマスクしたブス女たちが強姦に襲われようが、通り魔に遭おうが、そんな女のことなんか助けないよ、ということである。そう考えれば、自分も男である。そんな男たちのそんな心情に共感せざるを得ない。昔から、何か大きな集団災害や集団事故(例えば船の遭難など)があった時、まず助けるべきは女、子どもからという不文律があった。子どもは相変わらず助けるべきだが、出来の悪いブス女たちは助けないのである。いわんや、女の質が高く、優秀であれば助けるのである。今日び、質が高く、優秀な女は稀である(いつの時代もそうだったのかもしれないが)。まあ、稀だからこそ貴重な存在であり、印象深いと言えるが。いわゆる「希少な存在」というやつである。またそういった女性はまたぞろ殊勝であり、印象深いといっても少数派はいつの時代でも市井に埋もれていく。

また、昨今の世にも馬鹿げたコロナ禍だが、100%人災の、集団ヒステリーである。ヒステリーというのは女のひとつの特性を揶揄する言葉だ。つまりコロナのヒステリーは女が中心になって起こしているという見方ができるのである。更に女のほうが圧倒的にテレビを視聴し、メディアの情報や印象操作を含んだ表現というのを何の疑いもなく吞み込んでしまう傾向が強い。加えて、女という生き物は理論が通じない。このことは、自分的には過去には女というのは人間という生物におけるプロトタイプとして称えてさえいた。だが現在は、女というものは甚だ理論が通じない下等な生き物という悪評価に180°転じている。

またこの過去の名言(失言)と関連して自分は「女のほうが男より尊い」by 自分と記した。これも失言として撤回しなけらばならない。しかしながら、だからといって「男のほうが女より尊い」とも思わない。いってみれば、男女どちらも「卑しくて愚かだ」が正解ということになる。

 

 

 

「人はいとも簡単に機械になる」by 自分・・・・・これは過去の名言シリーズで「もう機械になりたい」との名言を記し、添付文として、「 無論、人が機械になれるわけがない。いくらコンピューターと同化しようとしても。この先、時代がさらにテクノ化しようとも。この先500年後も千年後も(と思う)。 」と記したことへのこれも真逆の意趣返しである。人間はいとも簡単に機械になってしまうのである。昨年の3月にマスクの着用が個人の判断に委ねられる前の日本は一億総マスク状態であり、その異世界の様は誰もがマスクカオナシロボットに見えた。

そもそも人間の行動がパターン化すると往々にして行動が機械的になることがよくある。テンプレを読んだり記したりするのもそうだ。政治家のテンプレを読んでいるような弁論がその典型例だ。先日、アマゾンのプライム会員にさせる手段がえげつないことについて文句を言ってやろうと思い、アマゾンサポートセンターに電話したのだが、電話口の「こんばんは、アマゾンサポートセンターです。今回はどういったお困りごとですか?」の第一声が最初ロボットがしゃべってるように聞こえた。テンプレ化し過ぎてるというか、甚だ機械的だったからである。テクノロジーやデジタル化の弊害を顧みずむしろそれを是とする日本人のような国民は容易に非人間化してしまう。ヨーロッパでいえば、ドイツ人なんかにその傾向があると言えるだろう(それでもまだまだ日本よりはマシだ)。その点、イギリス人、アメリカ人などはテクノロジーの進歩によって非人間化し、人間がロボット化してしまう危険性をよく承知しているのである。これらの国ではデジタル化への大きな抵抗勢力が根付いている。社会の至る所でアナログな所が散見される。勿論、AIがもたらす倫理的な問題にも中心となってメスを入れる。

 

 

 

「人間は尊いものではない」by 自分・・・・・これは上でも書いたが、過去の名言シリーズで「女は男より尊い」by 自分とした発言の大幅修正である。そう、人間などおおよそレスペクトに値しない。自然が尊いのであって人間は尊さからは程遠い

 

 

 

「女が男を必要としているほど男は女を必要としていない」・・・・・これも過去の名言シリーズのひとつ、「男が女を必要としているほど女は男を必要としていない」の180°転換の意趣返しだ。

 

 

 

 

 

 

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