世の中の事象、戦争でもパンデミックでもいいがそれらに対し音楽アーティストは無力であると言われる。ここで言う音楽アーティストとは、音楽アーティストの中でも取り分けメッセージ色が強いアーティストのことである。政治的メッセージでも、社会的メッセージでもいいけど、そういった音楽家は社会派アーティスト、社会派バンドと言われる。具体的にどんなミュージシャンかといえば、ここでは例を挙げない。国内外問わず、各人が好きなミュージシャンとしか言いようがない。これは、私のお好みのミュージシャンを明かしたくないとか言ってるわけではない。私は音楽ジャンルやカテゴリーで畑を分けて派閥を作り音楽の視野を狭めたくないからである。私はクラシックからロック、歌謡曲、邦楽、洋楽とお気に入りのものであれば分け隔てることなく何でも聴く。そして自らも音楽を奏でる。パートは、ドラム、ギター、キーボードを演ってきた。殊に、誰々の音楽は世界最高だ、誰々の音楽はクソだ、と言い合って罵り合うのは聴き専に多い。聴き専自体は、けなすつもりもないし、揶揄するつもりもない。音楽は(ミュージシャンは)、聴き手(受け手)がいなければ成り立たない。自分の場合、音楽を奏でる上で聴き専の感想、声は大いに参考になるものだ。また、○○のようなジャンルこそ全音楽の中で最も崇高なもので、○○のようなジャンルは低俗だとのたまう人間もいる。私の知る限りではそういう傾向はジャズ好きに多い。そして低俗だったり、「売れ線」のミーハー音楽としてこきおろされてしまう対象は歌謡曲だったり、アニソンだったりすることが多い。そう言った考え方はあからさまな音楽的差別とでも言うべきものでナンセンスだと思う。更に、ひとつのジャンルの中でも誰々こそ神の音楽だ、誰々の音楽こそ本物だ、誰々の音楽は偽物だと言って罵り合ったりする。例えば、モーツァルト派はベートーベンをけなし、ベートーベン派はモーツァルトをけなすといった具合である。音楽は完全に好みであって、両者のどちらが勝ってるという論争は永久に平行線であり不毛でしかない。

世の中の事象、問題に対して音楽アーティストは無力であるか、否か?数多の人々に影響を与え、神、カリスマと崇められ、政治的、社会的な問題をテーマにした音楽を奏でるミュージシャンは問題の解決には無力なのか?直接的には無力だと思う。しかしである。カリスマと崇められるアーティストの作品は聴き手各人の思想を育む多大な影響力になっているはずである。言うまでもなくその思想は各人の行動のインセンティブになっているわけで、アーティストの間接的な力は大である。

例えば、あるミュージシャンのメッセージに感化されてある種の犯罪を企てるといったことは、ミュージシャンの多大な影響力の証である。このようにミュージシャンの影響力が、人に犯罪思想を植えつけるといった負の影響も少なくないが、逆に「Love&Peace」のように反戦思想につながる影響力もある。

翻って、「世の中の事象、問題に対して音楽アーティストは無力である」と言われれば、ミュージシャンは「はあ?俺達は音楽を演ってるんだ。政治家でもフィクサーでもないよ」と言うかもしれない。あるいはこう言うかもしれない。「俺は神でもないよ」と。

何かとコロナだ、パンデミックだと茶番が騒がれる世紀末じみた狂った世の中の昨今、そんなこと(ミュージシャンの放つメッセージは実際の社会問題、政治問題の解決には無力なものだということ。何も音楽には限らない。アニメ好きにはアニメが当てはまるだろうし、映画好きには映画が、小説好きには小説が当てはまるだろう)を考えている。

固く、ださい言い方に聞こえるが、音楽は芸術である。「芸術はどこまで行っても芸術であって、現実の世界と照らし合わせて接するものではない」と言う人がいる。私もアニメファンのようにアニメの世界にどっぷり浸かって現実から逃避したいという思いがないわけではない。しかし自分の場合は芸術作品に接する際(アニメが芸術と呼べるのか、映画やドラマが芸術と呼べるのか、小説が芸術と呼べるのか(文芸とは呼ばれているが)は持論を持たないが)、そのような現実世界から著しく乖離したような接し方はできない。自分自身夢想家のようなところは多分にあるが、常に現実と夢の狭間で葛藤するような生き方をしてきたし、芸術作品の接し方にもそれが色濃く表れているような気がする。殊に、今の時代のような、コロナにまつわる様々な狂った事象を見せつけられている状況では、まさに「事実は小説より奇なり」の時代であり、ミュージシャンの伝えるメッセージが強く現実とオーバーラップするのである。

 

 

 

 

 

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