打ち合わせや葬儀の準備

連絡とか

お父さんのいろんな手続きがわたしたち家族

一丸となってお休みとってるうちにやっていく。

お父さんはエンバーミング中。


あれこれ笑いながら

こんなカードも勧められるとつくっちゃうよね

とか、

お父さんのシニアパートの職場、火葬が終わってから挨拶にお菓子をもっていってね、とメモが遺してあったけど、いくらくらいのとは書いてあったけど一体人数は何人なのか、

書いてないのがお父さんだよね、とか

泣き笑いで進めていく。

市役所へ行ったり

親戚に連絡したり


入院中の荷物から、

最後に来ていたTシャツをみつけた。

なかなかきがえられず、いろんなこぼしたもののシミがついた、白いTシャツ。

私はこれは捨てられないし

これを来て頑張ったんだから

とっておきたいとおもって、

ジップロックへいれて、保管した。

お父さんの、戦闘服。


そしてお父さんの写真。

入院する前に夫と

家族写真がほしいね、あんまりないよね、と

たまたま話していたから

お正月両家に行った時、一眼レフで写真とろう!といっていたのに、お父さんお義父さん2人とも入院してしまったから。。。


最近の写真がなかったけど

お父さんの携帯の待受に自分がチワックスの亡くなった愛犬との写真にしていて

これ、いい顔してるよね☺と、

この写真にしよう!お父さんもお気に入りだったんだよね、と、

その写真にした。


ねえ、お父さん。

こんなことなら、もっとたくさん家族で出かけたり

写真撮ればよかったね。

お父さんが夏に花火大会車で乗せていくか?

って言ってくれた時

友達と出かけちゃってて

「また来年ね」なんていってたけど

来年は当たり前に来ない


なかなか着替えられなくてシミのついた白いTシャツをきて、頑張ったお父さん。

あらためて間質性肺炎急性増悪はこわい。

いまでも日課だったように調べている。

お父さんは皮膚筋炎と顕微鏡的多発性血管炎もあって、忘れていたけど

前立腺がんもあったんだよね。


それでも明るく頑張って

でも辛いとお母さんにこっそり、

ひとりは嫌だ

こわい

って弱音を吐くことしかできなくて。



同じ病気で闘っている人が

弱音を吐く場所があって

少しでも良くなりますように。

大切な人を亡くした人達が

少しでもその人の事を想って

心温かくなりますように。



お父さんが葬儀屋さんに安置され次の日に打ち合わせになる。しばらくここで待っててね。

明日来るね。

お父さんがお金のこととか家族に負担かけないようにすぐに火葬してほしいってのはメモにあったけど、

やっぱりそれは無理だなと。

お父さんとお母さんは若くに結婚して私たち兄妹を

立派に育ててくれた。

20歳にお父さんになって、

75歳まで働いて。

金銭的に余裕がないのを心配してたと思うけど

私はちゃんとお別れ会をしたかった。

お父さん愛されてるもん。

娘のわがまま。最後のわがままよ。


とりあえず明日の打ち合わせもあり、

前日寝てないのとたくさん泣いたのもあり

実家ではなく家に帰り夫にたくさん泣きながら

話をした。

お父さんとの思い出がたくさん尽きなかった。

(夫もお父さんが入院してたのに、背中をさすって話を聞いてくれてありがとう)


でもやっぱり眠れなかった。

たくさんたくさん涙がでてきて、

あさが来た。


会社も水曜の早退以降、亡くなった木曜日、その次の金曜日

またその次の1週間休みをもらった。

いい大人が泣きながら電話をした。


横になりつつ

お父さん…死んじゃった。嘘ならいいな。

朝起きると夢ならいいのに。

医療センターにお見舞いいかなきゃって、

なればいいのに。


そして、現実だった、朝。

葬儀屋さんと打ち合わせに向かう。

ちゃんと死亡診断書をみた。

皮膚筋炎間質性肺炎

抗ARS抗体

死亡に関連するところに

COVID-19の記載。


考えれば考えるほど

院内感染のコロナが原因なんじゃないかと、

悔しい思いがあふれそうになる。

考えてももう、仕方ない…


打ち合わせでは

家族葬で

お父さんが病院できいていた大好きな音楽を

シンセサイザーで弾いてもらって

みんなで聞いて、思い出話をしてもらったりして、

カーネーションの献花をする

お別れ会にした。


最初は身近な近くに住む親戚、遠方の方や高齢の方は無理かなと思ったけど

私のいとこや遠方のお父さんの姉妹も行くから!といってくれた。


見積もっていた人数から2倍くらい増えた。

いとこが

おじちゃんにはかわいがってもらったんだし、

行くに決まってるでしょ!

とか

もう涙出ちゃうよ。


お父さん愛されてるんだね☺


さらに、この時期は火葬場が空いていなく

6日に亡くなったのに、一番早い葬儀が13日と、

かなり日にちが空いてしまう。


なのでお父さんはエンバーミングをしてもらい、

でも、そのままのお父さんでお願いした。

その日お顔をみて、おでこナデナデして、

明日からエンバーミングなので土日はあえないけど

月曜日は会いに来るからね。

チャーミングなお顔で本当に寝ているようだった。

寝てるみたいだね

穏やかで本当にかわいいね

とお兄ちゃんと話した。


ねえ、お父さん。

嘘みたいだよね。

お父さんのお葬式なんて、

考えてもみなかった。

退院しか、考えていなかった。


悲しい気持ちがあるけど、

お母さんも相当のショックもあり、

気が張っていた。

ちゃんとしなきゃ。



荷物をまとめいよいよお父さんが退院する時が来ます。

こんな形の退院なんて思ってなかったね。

葬儀屋さんがお父さんの身体に

掛けた布のようなものが、

あぁ、亡くなってしまったんだなぁという

担架で運ばれるお父さん。


パーテーションで専用のエレベーターへ行くとき

看護師さんがたくさん並んでくれて、

お父さんを見送ってくれた。


お父さん、みんな見送ってくれてよかったね。

看護師さんが

お父さんは、私たちの名前を覚えてくれようと

してて、うれしかったんですよ、

って話してくれた。

そういえば、お見舞いの時に

人数が多くて覚えられなくてさ、

って、言ってました☺

という、やっぱりお父さんだな、とおもいながら、

皆さんにお辞儀をしてエレベーターに乗りこみました。

婦長さんと私たちと、お父さんと、葬儀屋さんと下へ行くと

チャラ男先生が出迎えてくれました。

私はちゃんとお礼が言えなかった。

いつも、先生に生意気なこと言うなよ、と

釘をさされていたけど

この時は先生に

先生にみてもらえてよかったよ、ありがとうございました。と、なんとか伝えました。

チャラ男先生は

ほんとはね、助けてあげたかったんだけど

力不足でごめんね。

みたいなこと言ってたかな。


それを言うのが私は精一杯で、

お父さんの闘った病院をあとにしました。


何だかんだ今思えば

なんでお父さん免疫抑制剤つかってるのに、

濃厚接触の人と同じ部屋にするんだよ!とか

いろいろ言いたいこともでてきちゃうけど、

何を言ったってお父さんは闘い抜いた。

だからもう何を言ったところで。。。

それならば寄り添ってくれた時は感謝したことを伝えたほうが気持ちいいかなと。

ホントに寄り添ってくれたかどうかは

わからないけど。

精神科の先生とも話せるようにチャラ男先生話を聞いてくれたらしいから。

ありがとうございました。


ねえ、インフルエンザとおもって、救急外来につれてこられて、

1日遅かったら亡くなってましたよ!って、廊下で言われた日から、クリスマスもお正月もずっと入院していたもんね。

こんなことになるなんて、思わなかったね。


最初はすぐ退院できると思って

2人でピースして病室で、写真撮ったよね、

最期に撮ったお父さんとの写真

たからものだよ☺


闘ってる人達が少しでも良くなりますように。

悲しい気持ちの人達が少しでも空を見て

心穏やかになりますように。


ね、お父さん。

お父さんは、職場が大好きでシニアパートでも楽しんで職場の人と話すのが好きで、

日常をもう過ごせないから、私は

仕事嫌だなって思っても

こうして当たり前に働いたり日常を過ごせるから

1日1日大切に、頑張ろうとおもうの。

そう思わせてくれてありがとう。

お父さん

今日も、これからも

ずーっと大好き。

少し先に待っててね。