お別れ会がおわり、やっとおうちに帰ってこれたお父さん。


こんな姿で帰って来るとは本人も私たちも考えてもみなかった。


インフルエンザかと思ったらまさかの間質性肺炎急性増悪。

会社をやすむにしても、なかなか理解してもらえず

もっとそばにいたかった。

今だにちょっと嫌なこと言われるし。

それでも、生きているから

そんくらいじゃへこたれていられない。


お父さんにお供えを、甘いものたくさんお供えして。

お花もきれいなやつ、飾って。

おかえり、お父さん。


お別れ会もおわり、残り少ない会社の休み。

役所関係もとりあえずやれるとこまでやり、

お父さんのシニアパートの会社へ。


お父さんは、顕微鏡多発性血管炎と前立腺がんをもともと患っていたけど、そんなに大きく症状がでてるわけではなかった。

今回は入院になり、私も何度か会社に連絡したりしていた。


お父さんが気を使わせると思い火葬が済んでから、いいお菓子買っていって持っていってね、とメモに、残していたので、ハラダのラスクを多めに持っていった。


会社近くから連絡し、ご挨拶で…実は父が亡くなりまして、というと、電話口の事務員の方がえ!とびっくりしていた。

そりゃそうだ。

コロナに感染した後個室で会社の人に電話していたらしく、元気になったら復帰すると言っていたらしい。

半々の気持ちの中、前向きにそう伝えたんだろう。


施設長の方も来て、

頭が追いつかず、と、びっくりされていた。


経緯をはなして、私と兄も涙をこらえながら

父がお世話になりました。とつたえた。

何かあれば手続きなどしますとつたえ、お父さんの勤務先を後にした。


お兄ちゃんに

やっぱり泣いちゃうね

と話すと

こうやって説明しなきゃいけないと、やっぱりな、

と。


お父さんがよく連絡していた方からも電話をいただいた。自分も心の整理がつかず…

とのこと。うちもそうです。ただ、父が本当にお世話になって感謝していた事を伝えた。


2ヶ月前まで何事もなく仕事をしていたとは。


だからこそ、異変があったらすぐに診てもらわないと

もうこんなに悲しい思いや

お父さんの無念な思い、

繰り返さないように。


間質性肺炎の急性増悪

その他持病もあったから、仕方ないんだけれど。


お父さん会社の人にちゃんとご挨拶したよ。

手土産あれでよかったかな?

元気になったら、本人が半日でもと言ってくれるならうちは待ってますと、行ってたのにね。


火葬場につくと、よくある献杯をして、

わたしたちは来てくださったみんなにご挨拶をして。と言っても身内のみだけど

それでも23人くらいかな?

お父さんの苦しい時の話じゃなく

おじちゃんこうだったよね、あのとき、

とか、

こうやってしてくれてたのよ、

とか、

お父さんの話が自然とでてきて


お父さんはその場にいたかったよね

居たかな?

賑やかなの好きだったもんね。

生きているうちに、本当に、こういう機会を作ってあげてたらよかった。


改めて、

また今度、は

約束ではないんだとおもった。


お父さんのお骨をみると、なんだか少ない気がした。

わからないけれど、使いすぎたステロイドとか

そういうの、関係あるのかな。


実はお父さんの遺灰を、少しネックレスにいれたかった。

お母さんのぶんと、わたしのぶん。


いれるのに苦戦して少し袋に入れてゆっくりいれたらいいよ、と、夫といとこが手伝ってくれた。

結局、今度の納骨で、袋に入れた遺灰は

お父さんへお返しして、ほんの少しだけ入ったネックレストップは、実家と、私のお家に置いておこうとおもいます。


今から思うと本当にお金に余裕がないと心配してたけど、こんなにみんながきて、こんなにあったかいアットホームなお別れ会をしたんだよ?みてた?


みんなお父さん大好きだったのがすごくわかる。

自慢のお父さんだよね!


まだまだ悲しいこともある。

ふっと、夢であれと思う時、とかね。


お父さんが急に患うことになった、間質性肺炎の急性増悪。憎すぎる。更にコロナ。

だけど、闘っている人が少しでも良くなりますように。これから素敵な初夏を楽しんでくれますように。

亡くなったお父さんたちのように、急にこんなことになった人達が天国で穏やかに過ごしてますように。

後から行くので待っててね。

遺されたご家族が、悲しいけど、その悲しみと上手に付き合っていけますように。

エンバーミングが終わったお父さんの顔を見に行く。

本当に眠ってるみたい。

気持ち少しふっくらしてくれたのか、入院したての頃のお父さんみたいだった。

眠ってるね。


おでこや頬を触って

寂しがり屋のお父さんに

みんなで来たよ〜ってお話して。


お父さんの携帯。

直近に聴いていた音楽。

チューリップの虹とスニーカーの頃

あと、大滝詠一の君は天然色


どんな気持ちでこの音楽を聴いていたのかなぁ


私の大切な曲になりました。


シンセサイザーでこの曲を流してもらいました。

音楽聴くだけでも涙腺が崩壊した。

お父さんの思い出話を母方の叔母と

父方の従兄弟にはなしてもらった。

名前にちゃん付けで呼ばれるお父さん。

やっぱり愛されていて

更に子供の状況でこれなかった母方のいとこが

お手紙を書いくれた。

それを叔母が読んでくれた。


「笑うとほっぺがピンクになってかわいいおじちゃん」


本当にそのとうりだったな。

優しい気持ちのお手紙を棺に。


お父さんへは、バレンタインの話をした時に

チョコ食べたいっていってたから、

良いチョコをかって、

お母さんと、私から、お手紙を書いて入れた。


届いたかな?チョコ、食べれたかな?


献花の時はひとりひとり、お父さんへの気持ちを伝えて白のカーネーションを棺へ。

私はお父さんのおでこや頬をなでて、

よく頑張ったね、ゆっくりやすむんだよ、

と伝えた。

今も手に感触はのこっている。


田舎のお父さんの妹さんがお父さんの好きなずんだ餅をもってきてくれた、それも、棺へ。

いちごや

おさけ。

最後ちゃんと食べられなかった

海苔巻きも。


お花を入れて最後のお別れ。


とてもアットホームなあたたかいお別れ会になったとおもう。

ねえ、お父さん。

お経はなかったけど、お父さんのすきな

音楽につつまれて、みんなでお父さんのアルバムみて、お父さんの話をして、

こんなお別れ会になりました。

うちらしく、

開催できたとはおもいます。


2ヶ月前に戻れたら、すぐ

医療センターにつれていくのに、

と、

そういう気持ちは当日は考えないようにして

お父さんの話をたくさんみんなでした。


ほんとは、お別れしたくない。

転院して、リハビリして、酸素ボンベと車椅子でも

退院したかったね。

ねえ、お父さん

死んじゃった今はどこにいるの?

毎日話しかけてるから聞いてくれてる?

また生まれ変わってもこの家族になろうね