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"また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、
互いに贈り物を贈り合う。
それは、このふたりの預言者が、
地に住む人々を苦しめたからである。"

ヨハネの黙示録 11章10節
Revelation 11:10

地に住むも人々は
二人の証人の死体を囲って宴会 
祝宴をした

地に住む人々とは
天を思わず天を住まいとせず
この世にどっぷり浸かった人々のこと

神の証人が死んだのを聞くと喜んだ人々 
しかも贈り物を送り合って喜んだ

それはなぜか?
地に住む人々を苦しめたからであると
かかれてあるように 

神の働きをしようとすると
二人の証人は敵の妨害に対して
雨をふらせなかったり
水を血にかえたりした
人々はこの二人がいなくなると
災害が止むと喜んだり

二人が「悔い改めよ」 
「自分を捨てよ」と自分に
とって耳の痛いことをいう人がいなくなったから
喜んだのである

人々の魂を救うために
神の働きをした二人
それなのに自分のことしか考えて
いない人々にとっては
「目の上のタンコブ」である二人が
いなくなったから恐れから
解放されたとおもったのでしょう

今の教会でも同じことがおこる 
人々の魂を救うために伝道のことを
いったり礼拝に誘うことをいうと
重荷だとかきついといって
教会を去る 去ったら楽になる
神より自分のことができる
礼拝もしなくていいと
考えるからである

まさしくこの祝宴は
それと同じようなものだ 

魂の救いのことをいう人や
預言者を煙たがるのは
「自分を苦しめる人」としか
認識していないからである
実に悲しいことである

自分の魂を救ってくれるとも
知らずに 自分の命の恩人が
いなくるとも知らずに

この世は正しいか悪いかではなく 
「自分が好きか嫌い」で動く正しいことでも
自分が面倒だったり嫌いだったらやらない

悪いことでも自分が好きだったらやる
今 楽しければいい後の
「地獄」のことなんてどうでもいい
死んだらおわり死んで
「地獄」に行ってもいいという
人々までいる

地の塩である神の人は世の光である
永遠に苦しむ暗闇から救いだす方法を
伝える世の光である

しかしナメクジのような
地の人々にとっては地の塩である
神の人が自分自身を溶かすものだと
おもって避けるのである

AMI JAPAN 
Pastor RIE