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"そこで、私は言った。
「ああ。私は、もうだめだ。
私はくちびるの汚れた者で、
くちびるの汚れた民の間に
住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
すると、私のもとに、
セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
彼は、私の口に触れて言った。
「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」"
イザヤ書 6章5~7節
Isaiah 6:5-7
イザヤは神の御姿を見
御使いたちの賛美をきいてるうちに
イザヤは自分の罪深さに気づいた
神のきよさを基準にした時
自分がきよさからほど遠いことを
知った
イザヤの唇に神からの炭火が
彼の唇に触れた時
彼の罪が赦されたことを神から
知らされた
イザヤは神の仕事がどんなに難しい
ものであってもこういった
「ここに、私がおります。
私を遣わしてください」
私達も神の仕事をする時
傷ついたり自分には難しいと
思えるような事もある
なぜそのようなことになるのか?
それは周りの人々に
神のみことばを伝える前に
自分の弱さや罪や誘惑に陥ったことを神の御前に告白し神に聖めて
いただく必要があるから
痛みが伴うのである
私達が神の代弁者になるには
(神のみことばを伝える者は)
炭火が唇にくだるような
痛みで神からきよさを頂く必要が
あることをこのみことばは
教えている
AMI JAPAN
Pastor RIE
