昨日に引き続き
昨日聖書学校で学んだ
義についてをシェアします














エペソ2:8‐9
あなたがたは恵みのゆえに
信仰によって救われたのです
それは自分自身からでたことではなく 神からの賜物です
行いによるのではありません
だれも誇ることのないためです














~しなければならない
クリスチャンなのに~していない
クリスチャンだから~しなければならない
というのは罪の意識を心に植え付けることでそれはサタンの支配の中にいる人の言葉
いくら律法を守ったからといって神様の前に正しい者ではないということを神様はいっています













ローマ3:28
人が義と認められるのは
律法の行いによるのではなく
信仰による













と書いてある通りです
サタンは~できていないじゃないか ~したではないかと
相手をせめる
神様はゆるしているではないかというのが神様
神様がゆるしたというのに
サタンは人の行動をみて
あれやったから罪
これやったから罪
あれやってるから
神様は喜ばない
これやってるから
神様は喜ばないと
とにかく心をぐちゃぐちゃにし心に恐怖をうえつける
人から何かいわれたとき
心に恐怖や不安おそれがきたらサタンの支配の中にいる者の言葉で神様からでたものではないことを知らなくてはいけない
神様は聖書の中で
神様によってゆるされたのに
まだ行い(肉)によって
自分を完成させるというのですか!?
といっている
その箇所は













ガラテヤ3:3
あなたがたはどこまで道理がわからないのですか
御霊で始まったあなたがたが
いま 肉によって完成されるというのですか














イエス様があらわれた以上
律法で縛られることはありません
ガラテヤ3:23‐26を読んでみてください
信仰(イエス様)があらわれる以前は私たちは律法の監督の下におかれ閉じ込められていましたが それはやがて示される信仰が得られる為でした
と23節にあるように
律法はイエス様が出てくるまでの期限付きで神様は定めておられます
イエス様がでてこられて
イエス様を信じて
律法の呪いから
とかれたというのに
新しく作り替えられた
というのに
まだ古い自分の中
律法の中
行いの中で
神様によく思われたいという
エゴのボロ雑巾の
ような思いの服をきて
できない相手をせめ
人をさばき
人をゆるせず
イエス様が出てくる
前の人間に戻ろうとする
それはとても幼稚なことで成長できてないことだと
聖書はいっています














ガラテヤ4:9
ところが 今では神を知っているというのに
いや むしろ神に知られているというのに
どうして無力 無価値の幼稚な教えに逆もどりして
再び新たにその奴隷になろうとするのですか














律法を守っているか
どうかが大事なのではなく
日々主を見上げて新しく作り替えられ毎日新しい自分で
神の御前にたつことが大事だと聖書にかかれています














ガラテヤ6:15
割礼を受けているかいないかは大事なことではありません
大事なのは新しい創造です














神様から与えられたプレゼントとして私たちはイエス様を
信じる信仰によって義とされています
何かできるから
何かを守っているから
礼拝にいってるから
献金をしてるから
律法を守っているから
という人間の行いではなく
義は神様からのプレゼント
つづく
昨日聖書学校で学んだ
義についてをシェアします














エペソ2:8‐9
あなたがたは恵みのゆえに
信仰によって救われたのです
それは自分自身からでたことではなく 神からの賜物です
行いによるのではありません
だれも誇ることのないためです














~しなければならない
クリスチャンなのに~していない
クリスチャンだから~しなければならない
というのは罪の意識を心に植え付けることでそれはサタンの支配の中にいる人の言葉
いくら律法を守ったからといって神様の前に正しい者ではないということを神様はいっています













ローマ3:28
人が義と認められるのは
律法の行いによるのではなく
信仰による













と書いてある通りですサタンは~できていないじゃないか ~したではないかと
相手をせめる
神様はゆるしているではないかというのが神様
神様がゆるしたというのに
サタンは人の行動をみて
あれやったから罪
これやったから罪
あれやってるから
神様は喜ばない
これやってるから
神様は喜ばないと
とにかく心をぐちゃぐちゃにし心に恐怖をうえつける
人から何かいわれたとき
心に恐怖や不安おそれがきたらサタンの支配の中にいる者の言葉で神様からでたものではないことを知らなくてはいけない
神様は聖書の中で
神様によってゆるされたのに
まだ行い(肉)によって
自分を完成させるというのですか!?
といっている
その箇所は













ガラテヤ3:3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか
御霊で始まったあなたがたが
いま 肉によって完成されるというのですか














イエス様があらわれた以上
律法で縛られることはありません
ガラテヤ3:23‐26を読んでみてください
信仰(イエス様)があらわれる以前は私たちは律法の監督の下におかれ閉じ込められていましたが それはやがて示される信仰が得られる為でした
と23節にあるように
律法はイエス様が出てくるまでの期限付きで神様は定めておられます
イエス様がでてこられて
イエス様を信じて
律法の呪いから
とかれたというのに
新しく作り替えられた
というのに
まだ古い自分の中
律法の中
行いの中で
神様によく思われたいという
エゴのボロ雑巾の
ような思いの服をきて
できない相手をせめ
人をさばき
人をゆるせず
イエス様が出てくる
前の人間に戻ろうとする
それはとても幼稚なことで成長できてないことだと
聖書はいっています














ガラテヤ4:9
ところが 今では神を知っているというのに
いや むしろ神に知られているというのに
どうして無力 無価値の幼稚な教えに逆もどりして
再び新たにその奴隷になろうとするのですか














律法を守っているか
どうかが大事なのではなく
日々主を見上げて新しく作り替えられ毎日新しい自分で
神の御前にたつことが大事だと聖書にかかれています














ガラテヤ6:15
割礼を受けているかいないかは大事なことではありません
大事なのは新しい創造です














神様から与えられたプレゼントとして私たちはイエス様を
信じる信仰によって義とされています
何かできるから
何かを守っているから
礼拝にいってるから
献金をしてるから
律法を守っているから
という人間の行いではなく
義は神様からのプレゼント
つづく